同三(8)
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概要
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姓氏家系大辞典
8美作正平十五年、山名時氏·當國に攻め入る。是より先き、伊豆守時氏の子師義(右奮門佐、初め師氏)·足利義詮に背き、時氏を勸めて南朝に歸廂す。是の年、時氏父子·步騎四千五百を將ゐて、守護赤松筑前守貞範(法號世貞、則村の二子)の層城を攻めんとし、其の將小池中書、福依八左衞門をして、篠葺城(大庭郡三崎河原村)に向はしめ、淀井丹波ず、武田刑部左衞門等をして、高田城(後神山城をめしめn精兵をに入り、院莊城機械)じ一城·風を望んで降り、遂に十九年、當國を領す(略史)。前各項參照。後これを失ひ、嘉吉亂後、山名〓〓·再び當國守護となる、應仁武鑑に「山名兵部少輔〓〓〓居郡高田」とあるは何に據れるか。又一族判官忠政を鶴山城に置き、忠政は當城に卒すと。又東作志、英田郡林野保猪臥村矢櫃山條に「城主豬臥入道は山名氏にして、山名坊菴入道忠政の子也。忠政に一女一男あり、女は虎御前と號し、田口薩摩守光政の室也。男は山名藏人と云ふ、後に猪臥村に從り、仍つて豬臥入道と號す」云云と。以上醫王山記に見ゆ。新免家記に「文明十二年六月、山名蔵人大夫、山名猪臥入道、兩大將にて五百餘騎を引率し、吉野郡小房城を攻む」と又作州古城記に「金剛寺城は新野四村に在リ、山名忠村·此に居る」to又岩尾城主に山名忠重、同〓堅あり、文亀三年新免伊賀守に攻めらる。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)