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吉野(9)

提供: 氏族家系データベース

概要

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姓氏家系大辞典

9吉野八旗庄司、十六庄司、三十六公文近古吉野に八旗の庄司とて、一郡の總將あり、秋津、お丼、期、御園、小野、佐野、廣橋、畑山の八氏を云ふ。その下に十六庄司とて、檜垣庄司(北郷)、尼ケ生庄司(御料庄、加藤氏)、梨子堂庄司料庄)、奥谷庄司(古田郷)、鹿場庄司(古田郷)、中戶庄司(黑澤〓、今に庄司と云ふ)瀧庄司(加名生半郷)、小古田庄司(古田郷)、四山庄司(丹生半〓)、四谷庄司(黑瀧〓)、池田庄司(池田〓)、麥谷庄司(小川〓)、加藤庄司(河野聊)、桂庄司(北山椒)、外二庄司未詳十六氏、及び三十六公文とて、善城公文(御料庄)、平沼田公文(古田〓)、大日川公文(穀米生半郷)、四邑公文(官上部庄)、宮瀧公文(中庄〓)、樫尾公文(同上)、阿智我公文(官上部婦、土田氏)、同公文(同上、櫻本氏)、同公文(同上、中村氏)、同公文(同上、樋口氏)、土田公文(同上、相摸と云ふ)、立石公文(同上、加藤氏)、永彌公文(黒瀧〓)、脇川公文(同上)、河野郷公文(大四氏、東氏、伊藤氏、大四助五郞、東〓宗の国士は强弓の達人也)、(此の他の二十一公文は詳かならず)等の諸豪あり(吉野舊事記、大和志料)。又八旗庄司の一、吉野庄司與邊正綱の子九郞某など見ゆ。お好き芋滿等、各條參照10宇陀の吉野氏芳野條を見よ。勢陽軍記に「秋山、澤、吉野、云々」と。11攝津能勢郡吉野城(歌垣村吉野)は吉野式部の住居せし地也と云ふ。又東平野町の名族に在り、其の間地·雅趣に富むを以つて名あり。12美濃の吉野氏保元物語官軍勢汰の條に「美濃國には平野平太(一本には平太ヨシノヨシノヨシノおこえ 小野性武藏の豪族にして、小野氏系圖に「橫山經兼-孝久-樫生禪師觀念-重孝(吉野太郞)」と載せ、大里郡に吉野川あり、その地より起るか。又七黨系圖に「觀念(樫生禪師)-重季(吉野太)-實重(太)-重光(彦太)-經重」と載せ、また重光の第に「有重(圖二)、重季(三)、廣義(野七)」等見ゆ。18武藏前項、及び次の二項を見よ。又那珂郡秋山村天神社神職家に見え、又入間郡福岡邑にありて、新編風土記に承系及び此の家の來由を傳へざれど、天正以來、世々の墳墓·村内四養寺境内にあるの類(文和二年に吉野資祐、永仁二年に吉野政信)、舊き家なることは自ら見るんじ備州長船勝光の槍一筋、長刀一振、且つ天正十八年度寅の文章三通を議せリ」と。又大里郡中曾根村の名族にありて、先祖を吉野三河守と云ふとぞ。19成田氏族成田系圖に「成田太郞助廣の子六郞(彥、吉野三郞)」と見ゆ。而して新編風土記、多摩郡上師岡村に此の氏を載せ、「先祖は成田下總守の家人にて、御入國の頃、此の地に來り、師岡村を開壓せしと云ふ。其の人は吉野織部助と云ひし由、即ち新町村をも開いて、寺院まで起立せし人なり。又隣村河邊村も、:れが新開の地なりと云ふ、されど舊記等のこらざれば、往昔のことを詳にしがたし」と 0又認城條に「天正十八年、太閤秀吉·小田原陣の時、氏長及び弟左衞門尉奉親は、小田原の加勢に加はり、當城には留居として、成田肥前守秦季を置きて守將とし、行田口に島田出羽守、萩野傳右奮門、坂本將監、福田治部右衞門、吉野源太左衞門、同源三、同源七、歩卒共に五百人を置く」と。また吉野織部も見え、又吉野勘解由某あり、その男久左衞門直正(勘解由)·水利を起す。その男を佐右衞門と云ふ。20橋姓武州多摩郡檜原村大覺山嚥王情現の神主家にして、橋氏也と云ふ。新編風土記に「檜原村吉野氏。先祖は北條氏の麾下にて吉野對馬守橘盛光といへり。天正元年四月二十九日發す、法名を凌雲院貴州道富と號す。其の子九郞右奮門も、又對馬守と稱せり。これより以來、世々相續して今十三代に及ぶと。家救丸の内に營業學、警敏丸の内に橋なり。家系武器なども中古まで傳へたりしが、今は逸散せしと云ふ、たゞ文書二通を蔵す」と。21上總下總第十五項、及び次項參照。又三ツ柏を家救とするあり。22〓和源氏新田氏族里見義俊十七代堯光よリ三代堯成を祖とすと云ふ。家紋劔四目結、丸に櫻花。伊左衞門信行·德川時代、櫻田舘に仕ふ、子孫嘉臣たり。23秀〓流藤原姓佐藤氏族大友義長三男萩原安藝守重則の後にして、その男上松兼太郞義勝·古河公方に仕へ、常陸國吉野間に住し、天文十五年、佐野氏に仕へ、姓を吉野と改む。その男「光長(吉野新右衞門、蒙太郞)-光方(太左衞門、新右衞門)-太左衞門-太左奮門-吉右衞門」なりと。24越後三島郡二田村物部神社神主に吉野氏あり、二田、物部等の條參照。25美作笠庭寺記に「吉野郡吉野保百 日米一石)平吉基」と見ゆ。26菊池氏族筑後の豪族にして、合原氏系圖に「菊池武時-武重-武士-武俊(菊池七郞)-俊光(筑後山本郡、石浦主馬丞、草野氏の家臣と爲る〕-武之(草野庄吉野五郞。草野庄石浦村に、地合原のを百 日华十九日に祭禮を行ふと。此の祠は石浦村に在りて、民家に合原を以つて家質と爲す者十家計リ、又吉木村中に吉野尾と稱する地ありて、草野氏の舘址也と傳ふとぞ)-武治(合原次郞、左衞門尉)-武次(同左衛門尉)-俊行(同右衞門尉)-俊重(菊池彌次郞)、第俊正(若挾守、若宮社司)-〓正(式部丞)-清伸(外記丞)-〓次(市左衞門尉)-俊信(兵部丞〕-後祐(加賀守)-做白(土佐守)-俊克(加賀守)-俊光(佐渡守)-俊行初め掃部、安藝守と改む)」(將士軍談)と。又田中家臣知行割帳に「二百石吉野散右衛門」見ゆ。27有馬氏族松浦山代文書に「ありまのよしの若狭介」を載せたり。28日向日向記に「三山衆·吉野監物」、及び吉野孫九郞等見ゆ。29加賀加賀藩給帳に「四百五十石) 月内万字)吉野良三郞、百五十石(二重角內万字)吉野鐵三郞」等見ゆ。30雜載その他、獨解文集に此の氏を載せ、又德川時代、小田原大久保藩年寄に見ゆ。その他、山城、伊勢、志摩、攝津、備前、信濃等に存す。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

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