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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
二四七 サカエサカエ-サカオサカオ-サカキ〓〓0〓じ給ふや、元政首として官軍に屬し、東根小田島氏等と東西相應じて忠節を盡せり。元政沒し、時茂襲ぐ。時茂の長男茂信·亦父祖の志を繼ぎて大に賊と戰ひ、一類六十四人戰死す。時茂沒し、三男時氏襲ぐ。時氏の後十世(元時、元山口、高重、爲廣、知廣、宗廣、孝廣、廣種、兼廣)高基·最上義光の爲に攻め滅さる。天正十二年六月也。(大江氏の廟所·寒河江町澄江寺、法泉寺の二寺ありて、今に其祀絕えず)。初め承久の役、高祖親廣·京師に在り、首として官軍に應ずるより以來、大江氏世々寒河江に據".南朝に動王したる所以のものは、親廣の遺志を權水したるものと云ふべし」と。余甞つて論じて曰く「廣元の長男親廣は、承久の役官軍となつたが、猶ほ寒河江、その他の氏となつて奥羽に榮えた。但し此の人の勤王事蹟に關しては、八百長的行爲の樣に論ずる學者もあるが、次男時廣の後なる長井氏、三男宗元の後なる那波氏、四男毛利季光、何れも關東評定衆として、出でて勢力あつたに反し、彼に其の事のなかつたのは、戰敗後、父の動功によつて死を購はれたが、再び出でゝ仕へず、欝々として封邑に餘生を送つたに過ぎなかつた事情を知るに足らう。從つて予單は、一部學者の評論を苛酷となし、一鞠同情の涙を被に注ぐものである。明治聖世に及び、承久度の忠臣·何れも聖恩に浴せしに、獨り彼にのみ其の事がない。廣元を父に持つた彼は、幸に餘命を全うするを得たが、後世史家に疑惑視さる、實に人生は萬事塞翁が馬と云つてよからう」と一族に高屋、左澤、萩袋、岩田、古河、小澤、柴橋、西目、八九、溝延、銀山、白石等の諸氏あり、各條を見よ。その他、最上家譜、家康の判書に「寒河江外記佑」、又信濃に存す。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)