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古(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

駿州は中城へおり、其の後は村岡城おと森へおり給ひて、代官に村岡刑部少輔、遠江守の舍弟也。らば大谷保に其の比城くはなし、リ、いぢし給はず、いつきかしづき奉り候。南宮、結句むこに成り給ふ。佐藤をさしそへ奉國分をばたさと在然所までに候を、代官を入れ三年知行し給竹城保宮澤大利八郞とて有り、ゴ。其の在城せめおとし、二年御知行かはうちにもかなたこなた、百餘編知行し給ひて、名取も大かた御手を入れられ、すでに國に二人の大將のごとく也。宮城衆つぎ目、其の外所帶等の時は、まづ高森殿と申し、かの御判を給ふ、次に留守殿の判をとる。彌々ちやうくわの彌三郞殿島へ御下りの跡におしのけ率る。朔の上樣も宮城衆十分の至(程カ)也とて、靑塚どのを御不審にて、やう〓〓靑塚〓、其の外二三箇所計もたれ候て、一期をくらし給ふ。其の時、宮城衆大崎をすてたてまつり、伊達をたのむなり。一、應水年號ばじめつかたの事也、村岡文明の子孫·趣州とてせきねに有り、其の息四人也。宮の前、其外かなたこなたに古ニエル志料に「村岡〓は村十六を領す。卽ち鎌倉七郷の一也。將軍に拜せられ、其の裔·東國に蕃桁す。賴·將軍を襲ひ、本〓に居り、世に村岡の舘と稱す。遠祖平朝臣良文·鎭守府陸奥守を兼ね、相摸の押領使を兼ぬ。渡內に良文の舘始めて子忠址ありて、上屋鋪と曰ふ。其の子忠賴、4孫景成、武藏の村岡氏最政等相關いで此に居る」新編風土記に「平良文と。五代の孫權五郞忠通·大里耶村岡村に住せりと云ふ。成田分限帳に村岡式部あり、この後裔か」と0 5桓武平氏大掾氏族芹澤系圖に「多氣次郞茂幹-兼幹-種幹-幹文(村岡)-良幹-高幹(土佐守)-望幹-良忠」と載せたり。多氣、芹澤、小高等の條參照。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

系図・系譜

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