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古文書數

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

-ムカイムカイムカイ天八十 ムカイ又一に「仁木尾張守長宗·伊賀國向井庄に住す」と。寛政系譜には「度會郡向井より起りしならん」と。又一に「もと北畠家臣にて、仁木義長の孫政隅·始めて向井氏と稱し、その曾孫政重なり」とaその系は「修理亮長忠-式部大軸長晴(紀州田邊討死)-治部少輔長勝(伊勢田丸云々)-刑部大輔忠綱(伊勢にて武名)-伊賀守正重(武田信玄に仕ふ)-伊兵衞政腔、第兵庫頭正綱(忠安)-將監忠勝-右衞門佐忠宗」にして、家紋上藤丸。正重は初め北畠家臣、後に武田家に仕へて水軍の將也。天正七年九月十九日、駿河持舟城を守りて男伊兵衛政勝と共に戰死し、次男正綱は清水港に據り、船手大將たりしが、後徳川氏に仕へ、御船手頭として三崎、走水に住す、寛永二年卒。その男將監忠勝は六千石を領す。又勝賴の家臣に向井兵庫助あり、三島に在りて北條氏を破る(豹皮錄)、又小牧陣に向井兵庫·見ゆ、戶田條參照。又將監忠勝の五男「將監正方(忠綱、兵部) 1將監正盛-同正員-同政使-同政香」(二千四百石)、ムカイムカイームカサ五九八六印.次男叔明元成(兼嚴)は長崎にて敢授兼書司監たり。又佐賀藩に存す。11雄敢東鑑卷二十一にむかいの四郞を載せ、又德川時代、佐土原島津藩用人、白川松平藩用人たり(武鑑)。又會津藩士に向井吉重あり、寛文の頃、舊事雜考、四家合考を著はす。桃青傳に藤堂佐渡守家來向井八大夫、向井氏(用人役)等裁廿、明治彫金師に向井勝幸(美術學校教授)、名あり。又甲斐、備前、播磨、讚岐、攝津、志摩、尾張、信濃、武藏等に存す。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

系図・系譜

関連論文

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