取彥
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
され、或は降り、爾來僅に作州の名門として、各氏とも德川幕府時代、大庄屋、中庄屋、庄屋等を動む。美作菅家の一族は、天保十五年春より弘化三年の春に至る迄、同族の皆木保實·發起となり、山口利治廣戶佐實·取調世話方となりて、一族後裔を調査し、美作菅家氏分錄一册を編輯し版刻して、同族に頭布す。是れに依るに、當時同族、有元、植月、登取、廣戶を始めとして、支流に至り、一百三十二を載せ、栗井の一族、江見の一族を除く。卽ち有元、植月、覽取、廣戶、皆木、大町、以外、有元氏より出でし氏族最も多く、皆木、小坂、梶亜、申すに依り、收公せんと欲するの處、彼の惡行に奥せざるの旨、陳謝然るべきの間安堵せらる」と。又筑後菅原系圖に「菅原三郞高種云々」とスガ條に詳述す。又紀伊中氏系圖に「筑紫國菅原朝臣中條送須」とナカ條を見よ。22雜哉陸奥話記に菅原行基、次に鎌倉初期に有名なる參議菅原爲長は「定義!是綱-宜忠-長守-爲長」也高辻條を見よ。又撰解文集に菅原義陳、太平記卷二十六に「北野の長者管宰相在登、」應仁記卷三に「公家云々菅家」と o次に越前の豪族に此の氏あり。又若狭國氣山村鵜羽瀬神社(式に宇波西神社、名神大社)は菅原姓の人、世々社職たり。次に羽後秋田の國學者に、菅原孫兵衛道龍(道成)、又羽前の〓家に菅原白龍。次に伊豫の儒者に菅原文太(心太)、播磨姫路の人鎌田得庵(字は子德)は、菅原玄同と稱す、京師の儒者也。その他、信濃、備前、陸中、武藏、陸奥等。猶ほ多かるべし
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)