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友枝(流藤原姓)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

3秀〓流藤原姓然るに大洲友枝速水氏の由來書には「玆に友枝家の由來を稽ふるに、遠祖は田原藤太藤原秀〓公にして其の第二十五世の後齋、叶松城主內尾伊豆守親賢·之を中興の祖と爲す。其の同旅狩股城主友枝隼人佐に二子あり、長を友枝大膳蒸と云ひ、第を友枝新兵衞と云do而して大膳烝は、黑田家の兵衆と戰ひて討死し、新兵衞·其の後を承け、內尾主水(親賢の子)と共に、黒田家に降參す。主水は卽ち新兵衞の娘聟なり。黑田甲斐守孝政·高麗國より歸陣し、新兵衞の死亡せるを聞き、主水の息女鶴千代女は、新兵衛の孫女なるを以つて、栗山四那右衞門に命じ、其の見立を以つて、土佐井藤左衞門の男仙千代に取合せ、新兵衛の後式を相續せしめたり。之を友枝小次郎と云ふ。其の子友枝惣右衞門·黒田家より惣生屋役を命ぜらる、事は友枝古文書にあり。又云く、中津城に於て、主水儀·甲州樣より惣庄屋役を仰せ付けらるともあり。此の傳說二樣にて、一は主水の直役、は其の孫への役義にて、事實果して如何なるや、不明なるも、其の後の實歷を以つて觀れば、大庄屋は數代內尾家にて勤め居るも、友枝家の名義なし。然るに主水よリ五代の孫宗種の時、君命に依りて、姓を友枝と改むること、友枝家現在の家譜に記載せり。此れに依りて之を觀れば、友枝家と内尾家は元來一家にて、何時の頃よりか、内尾と稱しけるを、宗種の代に於て、君命を以つて復姓したる者と知るべし。然れば、或る時乃ち友枝太左衞門の藩政府への屆書に『內尾と申儀も友枝の家名に御座候』と云ヘリ。宗種の子宗成·通稱太兵衞、貞享年中此の大村福岡縣築上郡八屋町大村也)に移住す。是れ此の地に於ての元祖なり。其の子宗保·通稱太兵衞と云ふ。其の子二人あり、長を宗展と云ひ、家職を承けて、大庄屋役動め、第宗興·通端新平豊前國上毛郵友枝邑よりトモエ- トモオカートモクラと云ひ、分家して一家を立つ。道休と號す」と。その子「順平宗繼(花亭)-順治宗行-順八宗實(甘休)-小兵衞宗民賃は岡田慶作三男)-誠治宗義-高彥(實は速水男)、弟照雄」なりと。速水翁は宗民の養子にして、學深く天地山甲神社を創立す。その室榮子また神道研究會に盡す所大也。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

系図・系譜

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