又吉田
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
tion 又鍼醫に吉田登則(秀〓)あり、寛政系譜は藤原姓に收む。家紋丸に三柏。又駿河大納言忠長家臣吉田主稅正明の男孫三郞正勝·幕臣となる。藤原姓、家紋憂柏、むかふ梅。猶ほ次項を見よ。●100醫家藝者書附に「二百俵·外科吉田自庵、今程三百俵寄合吉田自庵」to政系譜、未勘に「昌全(自菴)-昌建〓〓碩·自菴)」と。家紋丸に桔梗、茶實。又「二百俵·醫師吉田一庵、今以つて同高、小普請吉田宗益」、「二百俵·醫師吉田永元、今程二百五十俵寄台」等見ゆ。又江戶の醫師に吉田林庵宗山あり、水戶侯に仕ふ。又良醫に吉田順昌、空營と號す。又小河筆記に「當方の醫師吉田期庵仮、只今吉田壽山と中す之あり候」등又幕臣馬場兵右衛門の三男は田長肅の養子となり、長叔と稱し、蘭馨と號す、蘭醫として名あり。門人中條言善を圖とす。又筑後の人吉田自庵昌全は、もと坂田氏、長崎の醫吉田安齋鉅豊〓〓休)、の嗣となり、南豐派の瘍醫として名高し。前述自庵に同じ。101赤蠵義士吉田忠左衛門は藤原姓、二百石、して、日電白砂と欲し、その男澤右衞門兼貞は十兩三人扶持、近習なりき。102傀儡師人形遣吉田冠二あり、後四川伊三郞と稱す。二世冠二は始め欄竹教三耶三世冠二は吉田東九郞、後陸奧大掾と稱す。四川條參照。又文操齋吉田文書(國五郞)も名あり。又人形遺吉田德藏の男玉造·浪花にて名人と稱せらる。二代玉造(佐々木熊次郞)は明治時代、名高Lo又吉田文三郞冠子は狂言作者としても名あり。103雜載撰解文集に吉田氏を載せ、T)て總川時代、三上遠藤藩重臣、有馬藩重臣.鳥山大久保藩重臣、八幡青山藩重臣、柳河立花藩中老、小鴨松平藩用人格等に見え(武鑑)、又田中藩知行劑帳に금石吉田小吉」を載せ、又亀田藩執政吉田松籟は俳人として名あり。又吉田五郞左衞門爲閑は本姓小篠氏、前述吉田元高に射法を學ひ、吉田氏を稱す。初め水戶候、後渡野侯に仕ふ。又幕臣吉田忠藏桃樹は〓岐と號す。良吏として名高く、又兩岡道人と稱す。又鯖江藩に吉田作助、伏見役人に吉田重左新門等見る又京極鹽拾帳に一三百二十石吉田百石吉田近又太夫、二百石吉田又兵衞」、堀尾山城守給帳に「二百五十石吉田良庵、三十五石三人吉田又右衞門」等見ゆ。又溝口家臣にあり。又森川藩士吉田孫兵〓有隣は儒者として名高く、孤山と號し、又京都嵯峨の人吉田周庵の男七兵衞光由は尊數家として名高く、細川藩に仕ふ。又幕臣吉田定吉彥信は賢輔と云ひ、竹里と號す。後に慶應義塾〓授たり。又江戶の儒者に吉田藤八希賢、吉田圓齋子方(名は平)、又吉田新之助訥所等、皆名あり。又茶道にては、山田宗俊門下吉田宗意あリ。田村家臣にして、時習軒隣好と號す。又同藩吉田要人は板橋閑〓に學び、時習転宗意と號し、その門伊藤次郞·其の嗣となり、吉田時習軒宗賀と云ふ。又吉田長三郞、又吉田庄左衞門は石州流の茶人として名あり、宗雪と號す。又前述宗賀の妻カネは、水月尼と稱して夫の後を嗣げり。又畫家には吉田優武あり、又浮世繪に吉田魚川、吉田兵衛(京都)、又京都の醫吉田南遲の女佐登(大倉笠山の室)も名高く抽山とす又古田左左門に応あり、萬松客萬松客〓又摩郡書疑吉田四郎右衞門元良は歌人として名高し。又池田螺政は參州吉田に在りしを以つて吉田宰相と稱さる。又山科派射衛名人に吉田茂氏あり、もと片岡助十郞家〓、吉田茂武の断也。その他、壹岐、志摩、土佐、伊藤等にも此の氏存し、又現今名士に吉田茂氏二人あり、一は調査局長、は外交官たり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)