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厚見(2)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

2河内の厚見運西琳寺文書興國四年の文書に厚見庄あり、この氏のありし地なるべし。此の氏の事は續日本紀天平神護元年九月紀に「河内國古市郡人正七位下馬毗登夷人、右京正八位下馬毗登中成等厚見連を賜ふ」と見ゆ、河内安曇氏と關和名抄伊香郡に安曇〓 、す、播磨國完粟郡安積より起る。アサカは其の條を見よ。安積(アツミ)氏は安積元弘三年五月二日文書に安積太郞兵衛尉、曆廳三年十一月十九日赤松圓心文書に安積太郞兵衞尉盛氏、貞和四年五月六日文書に安積平次、觀應二年正月廿九日文書に同上、觀應三年五月日の安積平次盛兼の軍忠狀、文和二年三月日に安積出羽守盛氏子息等見え、又赤松記に「嘉吉元年六月廿四日に、(御所義〓公)滿祐宅へ御成申、大名御供なリ。勝定院樣の御時定められし御能もありわき能に鵜の羽を仕る、中入の時御庭へ惡馬を放て、安積監物行秀と申者、公方樣へためつけをいだし、やうやく討申候」とあD此の裔後世會津藩士となる、その文書新編會津風土記に多し。安積の出自につきては安黑氏略系に姓氏錄に曰く、安全宿禰海神綿積豊玉彦神子穗高見命之後也、三十九代天智帝の御字將軍阿曇の比羅夫、河邊の百枝を大將として百濟を敦はしむ。阿曇を阿墨又安墨と書る事古書に見ゆ。後年安積とも書す、綿積より出し故なるべし。嘉吉元年云々。安積九郞者通れ氏を變じ、安量の文字の土を省き安黑を氏とす」また曰く「阿黑和泉守藤原久一一、係あるや否や不明。

系図綜覧(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第二:151頁、154頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション)第2:149頁、152頁
  • 『系図綜覧』(国書刊行会編、1915、国立国会図書館デジタルコレクション):383頁、386頁

華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)附録 巻之1:36頁、106頁

系図・系譜

関連論文

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