大和の豪族にして、英俊日記に「永正三年八月、京衆澤藏·亂入の間、國衆は十市、箸尾以下、南脇衆、悉く多武峰に楯籠リ、堅固に相蹈し了る」など見ゆ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)