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千(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

1田中氏泉州堺發祥の名族、茶聖千利休の後也。利休·名は與四郞、屋號は納屋。魚間屋也。故に納屋與四郞とも云ふ。後に抛筌齊利休居士と號す。十七歲の頃より茶道に心を寄せ、遂に其の奥義を究めて、其の名天下に鳴る。茶道を以つて、織田信長に仕へ、後ち秀吉に召されて、祿三千石を賜ふ。然るに利休·君寵を恃みて騒著に趨り、私僻の爲、秀吉の心に合はず、加ふるに其の女の命に應ぜざる等によりて、天正十九年二月二十八日、死を命ぜらる、年七十一也と云ふ。藩翰譜には「千利休·先祖足利殿の童坊、千阿彌が後にて田中氏也、泉州堺の住人」と載せ、又泉州志に「千宗易、後に抛筌膏利休居士と號す。堺南莊の人、茶道を道陣に學ぶ。當時天下の妙手也。秀吉に仕へて領地を賜ふ、後護言に依つて自害す」so子孫は、千家系圖に「千宗易(不審菴、抛答齊利休。本姓田中氏、故有りて千氏に改む。天正十九年辛卯二月廿八日歿す。父は萬代屋宗海、堺の人)道安初名昭安、不休呼吸器、故有を-宗淳宗且今日庵少慶長十九甲寅九月七日歿す女子:一山科宗甫女子モー-宗拙宗守ー-宗守-宗守文重次郎靜齊五伯-宗左-宗守-宗原-宗左-宗左-宗佐-宗佐-宗左-宗巴宗乾六閑書の養子宗左一宗室の-宗室-宗室-宗安-宗乾-宗室-玄室- -宗室-宗室-宗玄-宗什女子於和喜、久田家利安心大厦居酒但し五人の內、宗拙、宗守は一腹、宗左、宗室、於和喜は別腹。宗旦は今日菴咄々齋、元叙、又元伯、萬治元戊戌十二月十九日發。○宗拙、初名は宗甫閑翁、山科に住し、後京都に住す、これ宗拙流なり。〇一代宗守は似休齋、官休菴一翁閑翁、故有りて家を繼がず、千氏別家、上京武者小路小川東へ入る所に住す。讚州侯に勤仕、延寶三乙卯年十二月十九日發。。○一代宗左は、逢源齋江岑、寛文十二壬子十月廿七日殁、本家を繼ぐ。故に宗旦の惣領となる、是を今古宗左と云ふ。○一代宗室は、仙叟玄室、千氏本家の裏に住す、宗旦隱居所なり。元祿十丁丑年正月廿三日發。○二代宗守は、文叔、若き時重次郞、寶永五年發す。〇二代宗佐は、隨流齋良体、元祿四年未七月十九日歿。實は久田宗利男、宗旦孫なり。逢源齋の養子となる。〇二代宗室は、不休齋常叟、俗名宗齊、松平加賀守、後松平隱岐守に仕ふ。〇三代宗守は、靜々齋無伯、高松少將に仕ふ。〇三代宗左は、覺々齋原叟、流芳軒とも云ふ。享保十五庚戌六月廿五日發。實は久田宗全男、宗利の孫也。○宗安は、六閑齋泰叟、享保十一丙午八月八日歿。○四代宗左は、如心齋丁々とも、初め宗員とも云ふ。寬延四辛未八月十三日役。○宗乾は、最々齋竺叟、俗名政之助、享保十八癸卯二月廿五日發。實は覺々齋の二男、宗安の養子となる。〇五代宗左は、啄呼齋件翁、初め宗員。〇三代宗室は、勿々齋、又玄齋、一個、實は覺々齋の二男、實兄の養子となる。〇六代宗左は、初め宗員了々齊、實は久田宗慶男。○玄室は不見齋、〇七代宗左は吸江齋。○四代宗室は認得齋。。五代宗室は靈白堂と號す。宗淳、宗旦、宗左の家を表千家、宗守の家を千家武者小路、宗室を裏千家と云ふ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

系図・系譜

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