千坂(1)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
條ミツイヘ、及びヒシ陸前等に此經方の子行バンコン條參正倉院天平寶字二年文書に見その他下「万喜の和田左る。至德元年四月の大和武士交名に萬歲氏を載せ、後世、國判衆十二氏の一たり。氏人は春日若宮文書、應永十四年平田庄段米段錢間事に萬歲則盛(平田條を見よ)、談山社長祿四年文書に「萬歲之家傳云々、萬歲鬼鶴丸」を載せ、又萬財右京進則定(高田條參照)あり。又永正の頃、萬財備前守則滿(巨勢條、中井條參照)、また大和軍記に萬財云々(箸尾條)、高市郡高取縣鷲寺舊記、永祿の連署に萬財使福田善右衞門、筒井時代に萬財友備、萬財友興等見ゆ。而してその居城萬財域は、大和志料に「一は陵四村の大字市場の東にあり、一は二上山の南·萬財山に在り。共に萬財氏の據る所なり。萬財、一に萬歲、滿四に作る0萬歲〓の豪族にして、大和武士平田黨の巨擘たり。其の出づる所を詳にせず。元弘中、萬歲九郞なるもの、春日若宮祭禮に流鏑馬を勤仕せしこと、千島家文書に見ゆ。若宮神主祐臣元弘三年十一月記に『流鏑馬十騎、内萬歲九郞·一騎』と卽ち此也應水中に則盛あり、布施、高田、岡の豪族と共に、平田の莊官たり(春日社文書)。文正元年、畠山の亂に、萬歲、圖吐田、越智と共に義就の爲めに兵を出し、筒井光宣、箸尾、布施、高田等と相戰ふこと·尋尊附正記に見ゆ。此の時の萬歲氏は誰何なるを詳かにせざれども、文正元年より六年前、卽ち長祿四年の磯野庄文書に萬歲鬼融丸の署名あれば、疑らくは同人の時代ならん。永正中、萬財右京進則定あり、成身院、箸尾、布施、越智、吐田、楢原、十市、片岡、筒井、俱尸羅、高田の諸氏と共に、國列衆に列せらる(興福寺英俊日記)。天文中に備前守則滿あり、筒井順昭と戰ひ、之に死せりと、事は三輪の越氏系圖に見ゆ。備前守友興に至り、箇井氏に屬し、後ち大阪の難起るや、大野の招に應じ、城中入る」と云ふ。國民郷士記に「萬財家(市場村より東に二丁四方平城、又二上山にも有り)。萬財喜太郞(一本喜兵衞に作る)、同辨盛(大永年中)、同右京亮則之(一本·之定に作る)、同彥太郞、同備前守友興、同次郞九郞慶友(筒井順慶に小姓、十九歳、順慶死去後追膜)、同太郞友備(筒井定次に仕へ、伊州ヘ同す。慶長十一年、中坊と上野を去り、大阪友興と一所に成る。十九年大歐に籠る)。家老(南、奧田中、竹村、丹後、竹内八郞右衞門、竹内九郞右衞門)」とa又箸尾氏配下の士に萬財氏あり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)