匝瑳
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
下總國に、遞堤郡薄理〓あリ.和名抄に見ゆ。又後に匝瑳南庄、また匝瑳南條莊等の名あり。1 (物部)匝瑳連物部氏の族にして、下總國匝瑳郡匝瑳〓よリ起る。物部小事大連の後なり、承和二年に至リ宿禰姓を賜ふ。香取條參照2 (物部)匝瑳宿禰前項氏の後にして、承和二年三月紀に「下總國人、陸奥鎭守將軍外從五位下動六等物部匝瑳連熊猪、連を改めて、宿禰を賜ひ、又本居を改めて、左京二條に貫附す。昔物部小事大連、節を天朝に賜ひ、出でゝ坂東を征し、凱歌して歸り報ず。此の功動に藉り、下總國に得せしめ、始めて匝盛郡を建つ。仍りて以つて氏と爲す。是れ則ち熊猪等の二九九2橘姓楠木氏流河内國石川郡佐備邑より起りし豪族にして、楠氏の族と云ふ。延元の頃、佐備三郞左衞門尉正忠あり、王事に盡す。佐備の谷口城(東條村佐備)は此の氏の居城にして、正成屬城の一也。又嶽山城は龍泉寺城とも、東條城とも云ふ。東條村龍泉にありて、又此の氏據る。後延元二年十月、細川兵部大輔·當城を攻む。高木、遠藤、岸和田定智等之を防。後正平七年、後村上天皇の御幸あり。同十四年、天皇觀心寺に移り給ひし時、正廣、和田正武、當城に據りしが、翌十五年閏四月廿九日、細川〓氏、赤松範實等に攻められて陷る。其の後、寬正中、畠山義就當城に據リしも、同四年三月、畠山政長の兵に攻められて紀伊に送ると傳ふ。又金胎寺山城も佐備氏の居城なりしと云ふ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)