加用(1)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
加羅カラ加羅は、もとの辨韓の地を云ふ·韓史、分ちて、伽耶(拘邪國、南加羅、金官國)、大伽耶(甘露國、大加羅)、小伽耶、(古自伽耶、古資彌凍國、古嗟、子呑)、碧珍伽耶(半路國、伴跋か。又星山伽耶)、阿那伽耶(安邪國、安羅、安尸羅)、古寧伽耶(接塗國、子他、古他)の六つとす。欽明紀廿三年條には「一本に云ふ、廿一年、任那·滅ぶ焉。總べて任郡と言ふは、別ちて加羅圖.安羅國、斯二岐國、多羅國、卒麻國、古嗟國、古子他國、散半下國、乞食國、稔禮國を言ふ、合せて十國、」と見ゆ。任那とは加羅の別名なり。垂仁紀に「一に云ふ、意富加羅國王の子、名は都怒我阿羅斯等云+c汝の本國の名を改め、追ひて御間城(崇神)天皇の御名を負ひ、便ち汝の國名と爲せ」と見ゆ。此の都惡我阿羅斯等は、姓氏錄に據れば「意富加羅國王半留知王の子」と+、、六卒。爲繼·文永弘伊勢國粥見邑より起りし栗山備後利安のカイカハ美濃國郡上郡伊賀名賀郡の名族にしてカヤマーカヤムロカヤヤマ-カユミカユミーカラ一八〇七 すれど、韓史に傳はらず。内韓史にて、加羅國王と云ふは、金官國(伽耶)王にして、後漢建武十八年、金首露と云ふもの、始めて伽耶國を開き、後金官國と稱すと云ふ。その世系は三國遺事に「金首露(在位一五八)、居登(五五)、麻品(三九)、居叱彌(五六)、伊戶品(六二)、坐知(一五)、吹希(三一)、錘知(四二)、鉗知(三〇)、仇衡(四二)、」三國史記に據れば、十王、四百九十年、遺事より云へば、五百二十年にて新羅に亡ぼさる。次に大加耶國は伊珍黃王(一に內珍朱智)の創めし國にして、道設智に至る、凡そ十六欽明帝紀二十三年條に「新羅·任那官家を打世、五百二十年にして、新羅に亡ぼさる。減す」とあるは、これを云ふ也。詳細は拙著日本古代史新研究を見よ。加羅氏、京師の加羅氏辛氏は此の國人の裔也。姓氏錄、未定雜姓、右京の部に「加羅氏、百濟國人都玖君の後と云へリ、見えず、」とあり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)