初名(8)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
8氏人平家物語に中沼五郞宗政あり、源平盛衰記には中沼五郞宗正、また東鑑卷十九、三十、三十八には長沼五郞宗政、又承久記卷二、三等に中沼五郞(中沼の五郞)と載せたり。この人·勇武を以つて聞ゆ。源範賴に從ひて平氏を擊ち功あリ。建保の初め、畠山重忠の子儈重慶、日光山に據りて不軌を謀る。將軍實朝·宗政を遣はし、往きて之を捕へしむ。宗政·其の首を斬りて獻じ、實朝を諫む。實朝·喜ばず、宗政屏居·月を踰え、兄朝政·陳謝して出づるを得たり。その後、東鑑卷二十七に長沼四鄭左衞門尉.三十二、四十に長沼淡路前司、三十四に長沼左衛門尉時宗等見え、承久記卷四に長沼小四郞あり。下りて太平記卷三に長沼四郞左衞門入道、卷四、六等に長IIII長宗、法名覺叟、一本長保、又秀保)-宗光(駿河守、從五位下、監物、藤五郞、法名融覺、世に惡五郞入道と云ふ。武功ありて、久明親王より、菊の紋を賜ふ。遁世して、鎌倉新御堂に住み、後に筥の森に於いて松樹院を建立す。觀應二年辛卯八月六日寂、七十九、松樹院悟峰融覺と號す)、弟宗次(四郞左衞門尉、入道法名覺蓮新田義貞に屬して義兵を擧ぐ)」と。次に宗光の子「宗親(駿河植守、亦四郞、法名道覺。永德三年癸亥三月六日寂。代の合戰六十一度、終に敗軍なし云々)、第宗明(五郞左衞門尉、一本に宗章に作る。鎌倉に在りて左兵衛督基氏に仕ふ也。後孫長沼吉兵衞朝之は松平隱州侯に仕ふ)」とa次に宗親の子「宗恒(駿河守、亦四郞、法名覺歸。祖父宗光入道の爲に、長沼〓に宗光寺を建立し、新御堂山と號す。宗光入道·鎌倉新御堂に住居せしに依りて也)-宗干(駿河守、藤四郞、法名一露覺無)、弟宗仲(亦四郞)-光能(亦四郞、政連)」と。又宗仲の弟「持晴(左近將監、法名三密院と盛す)-秀政(壹岐守、法名寂岩覺明)」と。沼駿河守(宗恒)、梅松論に「小山、結城、長沼が一族云々」と又長沼越前權守秀行は宗政が四代の孫、從五位下に叙し、淡路守に任ず。元弘三年、大塔宮の令旨を奉じ、官軍に屬す。新田義貞に從ひて北條高時を亡すと。また長沼應永二十四年三月廿七日文書に「長沼湊路入道殿」、白川文書に長沼云々。結城戰場物語に「長沼云々」、永享十二年、結城氏朝·これを攻む。また續太平記に長沼駿河入道、長沼治部大輔持宗、その後、永祿六年諸役人附に「關東衆·長沼淡路守(下野)」とあり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)