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內石(4)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

4美濃の氏家氏字都宮の祝部中里氏所藏氏家系譜に「中務丞重國、曆廳元年寅圓七月二日、越前の國足羽郡藤島に於いて、新田義貞の首を捕り、京都に送る。尊氏將軍、賞美ありて、美濃國石津郡に於いて、闘所の地數箇所を賜ふ。右下文御〓書に云ふ、『下、氏家中務亟重國、美濃國石津郡高須、澤山、一瀬等の地頭職を領知せしむべき事、云々、』と。是に於いて重國、始めて美濃國石津郡高須〓に移住し、子孫代々繁昌して其の國にあり云々」と記したり。下野國志に「重國九代の孫氏家常陸分友國入道ト全は、美濃國大垣の城主にて六千貫匁の地を領し、稻葉伊豫守貞道、伊賀伊賀守範俊等と共に土岐賴藝の旗下なりしが、土岐家亡びて齋藤道三が起るに隨ひ、世に美濃の三人衆と呼れたり、」と云ひ、又新撰美濃志大垣城條に「氏家常陸介直元(あるひは友U入道ト全、永祿三年より元亀二年まで守る。ト全の嫡子、氏家左京亮直重は元龜二年より天正十一年迄、當城城主なり。直重は始め信長公に從ひ、天正十年よリ秀吉公に屬せり。弟の氏家内膳重正も此城にありしにや、」と載せ、又石津郡安江村氏家ト全塚條に「氏家常陸介藤原直元入道ト全は、其の先宇都宮の庶流の武士にて、下野の氏家に住し、家號を氏家とす。其の裔氏家美濃守公經、これト全入道の祖也と云ふ。ト全、美濃四方三人衆と呼ばれし一人にて、安八郡大垣の城主なりしが、信長公に從ひ長島一撲戰陣の時、玆に戰死したり。其の墳墓あり」と。

系図・系譜

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