內石(2)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
2下野氏家氏は東鑑卷十二、十三、十六、窒〓と云ふ。治承五年美濃國にて戰死す。嫡子一郞重康·勅勘を蒙りて、當國名草郡字治村に來り、農民となる。元和封初宇治村、諸士の邸宅となるに依りて、若山西の店に移り、小川を改めて宇治と稱す。子孫了長といふもの、延寶四年當村に移リ代々當村に住む」と見ゆ。19山城の字治氏永祿六年諸役人附に「五番、字治少路」また長享常德院江州動座著到に「雍州、字治太路彌三郞」を載せたり。20宇治土公姓神宮内宮權禰宜に宇治氏宇治〓を名に負ひしならむ。宇治あり、土公の庶流にして久家を祖とす(權福宜家筋書)。21其の他、信濃、備前に此の氏あり。22宇治衆内外兩宮兵亂記に「今度長享二年六月、宇治の滅ぶる所以は多氣の御所より宇治衆へ、御扶持あるに因て、宇治衆萬づ無禮の振廻法に過るに依て、在々所々より之を惡まずと云ふことなし。故に山田衆よき折節ぞと、近邊に示し合せ、大勢にて發向す。先づ山田三方を始として、濱七〓、三箇〓、神部七郷、五智、白木、上野、一宇田原、外木田の勢、廿七に氏家太郞公賴、三十二、三十四に氏家太郞公信、四十七、四十八、五十一に氏家左衞門尉經朝、以上皆系圖に見ゆ。その他、四十に氏家五郞、四十三に氏家余三(經朝)見ゆ。下つて太平記卷三に「侍大將には氏家美作守、」また卷三十に「字都宮云々十二月十五日、字部宮を立て薩埵山へぞ急ぎける。相伴ふ勞には、氏家大宰少貳周綱、同下總守、同三河守、同備中守、同遠江守、芳賀伊賀守貞經云々」と。これ等皆本貫に住みし人と考へらる。