入間
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概要
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姓氏家系大辞典
和名抄武蔵國入間郡に註して伊留末とす。當郡は神護景雲二年七月紀に入間郡、に郡名の起は郡中入間川村より始りしなら天長十年五月紀同じ。風土記稿んと。此の氏は此の地名を負ひしにて、もと物部直と云へり武藏國道の一族にして、神護最雲二年七月紀に「武藏國入間郡人正六位下動五等物部直廣成等六人、姓を入間宿禰と賜ふ、」と見えたる、これなり。かく郡名を負ひたる事、並びに宿禰の如き高姓を賜ひし事によりて、郡内は勿論、國內に於いても屈指の强族たりしを想像すべき也。一門の內、京師に上り京戶に貫せらるゝ者あり、卽ち姓氏錄左京神別に收め、「入間宿禰、天穗日命十七世孫天日古曾乃日(一本己呂)命の後也」と載す。當時地方の氏族中、强大なる者は皆京畿に邸宅を有せし也。これ任官に便宜を得るが爲に外ならず。天日古言乃命は角井系圖に天日古言乃己呂命と見ゆ。國道祖兄多毛比の曾祖父也と云ふ。この命なほ姓氏録和泉神別山直條に「天壇日命十七世孫日古(一本吉)曾(日)乃己名(一本呂)命の後也」とあり、此網部の誤寫なり、ヨサミ條景實音源に元素四字点本家子實重實次の上手:住とも、永とも實行長小松阪宇永興實就向字樓=