入江(原北家御子左流)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
2藤原北家御子左流上京入江より起イリエイリエ층)次郞が與力の者共、若し道をや寒がんずらんと、士卒皆是を危く思へり。之に依りて其の所の地頭入江左衛門尉春倫が許へ使を遺はされて惡むべき由を仰せられたりければ、春倫が一族共、關東再興の時到りぬと料簡しける者共は、左馬頭を打ち奉り、相模次郞殿に馳參らんと云けるを、春倫つく〓〓思案して、天下の落居は、愚蒙の我等が知るべき處にあらず。只義の向ふ所を思ふに、入江庄と云ふは、本德宗領にて有しを朝恩に下し賜リ、此の二三年が間、一家を願る事日來に增れり、是れ天恩の上に猶ほ義を重ねたり。此の時爭でか預敗の弊に乘りて不義の振舞を致さんとて、春倫則ち御迎に參じければ、直義朝臣斜ならず、喜んで頓て彼等を召具し、矢矧の宿に陣を取る」と載せ、又梅松論にも「富國の工藤入江左衛門尉、百餘騎にて魏參じて忠節を致しける」と見えたり。此の氏の系圖は尊卑分脈に「常陸介維幾-木工助爲憲(工藤始)-時理-駿河守時信(或說時理會弟云々)-維〓(入江馬九、號馬大夫)-〓定(入江權守)一家〓大同確守층) 30尊卑分脈に「定家-爲家-爲〓-爲兼(號京極又號入江)」と見ゆ。