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僕(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

四九三五 ヒヒヒ四五十八は汝命(緩靖天皇)を扶けて、忌人と爲りて仕へ奉らむ」と申されし忌人と云ふ阿蘇神宮の親の意か。而して同命に「意富臣(多臣)、火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連云々の祖」と註すれば、九州の東海岸より西澤岸に中斷して廣大なる領土を賜ひしにて、かの漢史に名高き耶馬臺國女王卑彌呼も此の族中の女にて、阿蘇宮に仕へし密女かと思はる。當時其の勢力は甚だ大にして、北九州を從へ、殆んど獨立の姿にて、南方なる狗〓國(隼人球磨)と爭ひしが、卑彌呼の死後衰中央に歸服して熊襲征伐の先鋒となりしものゝ如く考へちる。史缺けて其の事情を詳かにする事離けれど安倍、毛野、吉備等、皇別の大族が、何れも地方に廣大なる領土を有しながら猶ほ在京して、事ある毎に任國へ下向せし一般の例より見れば、當國遣家の人が在京せしも古き事にて、卑彌呼女王の如きは、其の一族の封國に留りて祭祀に當りし人か。當時の事は想像するを得ざれど、建諸組、武諸木の如きは、或は在京せしものなるべし。又同族建借間(常陸那賀國造の祖が栄神天皇の朝、東夷征伐せし常陸風土記の記事に、賊を平ぐる際、杵島曲を唱へて遊樂歌舞せし事見えたり。杵島曲は肥前風土記に見ゆる如く、肥前國杵島の歌なれば、建借間の率ゐし軍士は當國の士にて、借間の名も、杵島山下なる鹿島より起りしものなるや必せり。卽ち當國造家の人は、在京せしのみならず、時に當國の士を率ゐて東夷征伐の事にも含りし也。オホ、ナカ、カシマ等の條參照。斯くて一族各地に分れしが、當國造家の人の內にも、火(肥)君と火(肥)直とあリ.前者は當國在住の族にて、後者は在京せし人の裔なるべし。猶ほ以下各項、及び次條を見よ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)

系図・系譜

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