倭(和朝臣百濟族)
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概要
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姓氏家系大辞典
4和朝臣百濟族、和史の後にして、延曆二年四月紀に「左京人外從五位下和史國守等三十五人に、姓を朝臣と賜ふ」と見ゆ。桓武天皇の御母は、此の氏より出で給へり。延曆八年十二月紀に「皇太后·姓は和氏、諱は新笠、贈正一位乙艦の女也母は贈正一位大枝朝臣眞妹なり。后の先は、百濟武寧王の子純陋太子より出do皇后·容德淑茂にして、夙く聲譽を著はし給ふ。天宗高紹(光仁)天皇·龍潜〇日、娉して納れ給ひ、今上、早良親王、能登内親王を生み給ふ。寶龜中、姓を改めて高野朝臣と爲す。今上の位に即き給ふや、尊んで太夫人と爲し給ひ、九年にはを進よ皇太后を申す。れ百濟の逸祖都墓王は、河伯の女·日精を感じて生まるゝ所にして、皇太后は即ち其の後也。因つて以つて諡を奉る焉」と見ゆ。姓氏錄は左京諸蕃に收め、「和朝臣。百濟國都墓王十八世の孫武事王の後也」と載せ、氏人には延曆二十三年四月紀に中納言從三位和朝臣家麻呂·薨ず。從二位大納言を贈る。家麻呂は、贈正一位高野朝臣弟嗣の孫也。其の先は百濟國人也」など、以下多し。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)