信盛
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
-ニシナリ四四六二(號仁科五郞、勝賴同時、信州高遠城に討死)」と。また「晴信-仁科五郞信盛毎は油川彥八信惠の女、仁科越前守の養子、天正十年、高遠城に生害、二十六歲、小山田備中守兄弟·これに從ふ)」など見ゆ。拙者「信濃」高遠城(伊那郡)條に「次いで武田源六郞信連、仁科薩摩守晴〓(五郞信盛)、天正十年二月、織田信忠の兵·之を攻むるや、信盛等·節に死す。後織田氏の將毛利秀賴の領となる」とs 8〓和源氏これも武田氏の族と云ふ。江戶幕臣にして、寬政系譜に二家を載せたり。家諸に「盛信-式部信久-右近信衡-勘右衞門信道」の後とせり。家紋割菱、澤瀉。その後は「信道-勸右衞門信勝(勘之丞)-兵四郞信貞-藤五郞信乘」也b 9武藏の仁科氏大石系圖に仁科彥六則敏·見ゆ、大石條第七項參照。10會津の仁科氏新編風土記に「會津郡飯寺舘跡。葦名直盛住せし處なり。又仁科太郎光盛も居りしと。高久組幕内村眞淨寺緣起には、佐原義連·此の地に居りし由見え、又光盛は義連の家臣とあり」と。又「幕内村眞淨寺。義連の家臣仁科太郞光盛をして、此の地に居らしめしが、光盛·其の儀、私に居することを憚り、良智と云ふ僧をして建立せしむ」とあり。11駿河の仁科氏久能山社家に在りて、内外寺社記抄に「平福宜仁科松之助」見ゆる12雜載江戶の儒者に仁科源藏幹あり、白谷と號す。又備前の人仁科正夫は琴浦と號す、儒者也。又畫家に仁科吳平盛(錦川)あり。猶ほ次條參照。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)