伴家(1)
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概要
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姓氏家系大辞典
條を見よ。信濃、阿波等久六年、此の地に居り、坂四と改む代の孫坂四長門守に至り、建保中、後し飯田城に移ると云ふ。其の後永祿年中、坂西機部なるもの、元飯田に居住す。甲陽軍艦に「はんざい六十騎」とあるもの此の氏也。又南信史料に「松尾の城主小笠原貞宗の三男宗滿·始めて(貞和中)松原三本杉に築城し、氏を坂四と改む。其の子由政·武功を立て、應永十五年一宇を建立し、正永寺と號す。其の子長由·不幸短命、之に依り、第坂西次郞長國嗣ぎしが、應永七年十月、更科郡にて仁科盛房の爲に生害、其の子政忠、其の子政重·小笠原政廉に屬し、武名あり。男子多數、繁榮す、嫡子政之、其の子長重、其の子長忠にて嫡流斷減」と。その居所飯田城は拙著信濃に「鎌倉の初め、代官近藤六郞周宗·上飯田に居館を構ふと傳ふ。此の家斷絕の後、小笠原貞宗の孫坂四孫四郞宗滿·當城に居り、後今の飯田に移り、これを長姫城と稱す。或は六本杉家山城とも云ふ。又飯田判官代基國·當城にあり。下つて天文十六年、當郡三千貫の地を奪ひ、晴信に献じて城代となる。同十八年、保科彈正·百二十騎を以つて降り、弘治二年六月、信玄の伊那郡に入るや、溝口、松島、黑河內、埴生、小田切、伊那部(員部)、外島、宮田等の小城主は誅せられ、坂四、市瀬、千五、晴近、松尾、松岡等は降りて、一部一圓武田に屬す。天正十年武田氏亡び、織田氏の將毛利秀賴·當城を賜ふ」と。長倉追罰記に「坂四は丸のうちにまつかはの紋也」とあるは此の流也。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)