伯(桓武平氏北條氏流)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
9桓武平氏北條氏流これも父祖の受領を稱號とせし也。北條系圖に「義時-重時-長時-義宗-久時-宗時(駿河守)-重時(駿河太郞)」と見ゆ。又尊卑分脈に、「義時-有時(駿河守)-通時-時高(駿河守)-時邦(左將監)」と見ゆる通時は、東鑑卷三十四、三十五、五十二に駿河式部大夫通時、又四十八、五十、五十一に駿河五郞通時等と見え、父有時は、二十六、三十一、三十三に駿河守有時と載す。又承久記に武藏の太郞時氏、一本に駿河次郞に作る。10因幡平姓八上郡大江神社貞治七年再興記錄に、駿河太郎氏秦あり。伊田條を見よ。11美作の駿河氏英田郡倉敷邑に此の氏あり、三星山城主後藤勝基の臣駿河右平の裔にて、天正七年五月落城後·農すと云ふ。三星記に駿河將監見ゆ。12駿河德川家二代將軍秀忠の二男、童名國千代、長じて忠長と云ひ、大納言に任ぜらる。寛永中、兄家光の爲に殺さる。13雜載その他、源平盛衰記に駿河兵衞光成、また「河越小太郞茂房が中間に駿河次郎、」また東鑑卷十に駿河守廣綱、十九に駿河前司季時、二十一に駿河太郞、二十二に駿河前司惟義、二十七に駿河蔵人.三十三に駿河守有村、三十四、三十七、四十二、四十三、四十四、四十六、五十、五十一に駿河四郞兼時、三十七に駿河守、四十二、四十七に駿河新大夫俊定、四十七、四十八に駿河藏人次郞經親、四十七、四十九に駿河左近大夫、四十九、五十一に駿河右近大夫等見え、また承久記卷一に「するがの右馬助のり(一本に(敦)後、」下りて長尾景房家臣に駿河秀景あり。又義經の家臣に駿河清重あり、と竹の下の次郞と稱せりと。此の氏、備前等にも存すとぞ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)