伊達(3)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
3氏人東鑑卷二に伊達彥三郞重親、伊達冠者家忠、十一、二十に伊達四郞、十五、四十二に伊達次郞、二十四に伊達右衞門尉爲家、三十二に伊達判官代、伊達八廓太郞、三十五に伊達中村太郞、四十七に伊達左衞門藏人親長を擧ぐ。多くは此の族ならん。又承久記卷一に「だての左衞門爲家」「いづ(一本に伊達)さゑもん(一本に次邸)賴定、」下りて太平記卷一に伊達三位房遊雅、巻三に伊達入道、十に伊達六耶、十七に伊達藏人家貞、三十に伊達三位有雅等見ゆ。以下各項にあり。但し大槻氏の云ふ「太平記に、元弘三年五月、鎌倉亡びて、北條高時の弟泰家が述れて、奥州へ下る時、南部太郞、伊達六郞といふ二人、泰家を竹興に載せて、擔夫となりて、奥州へ落つとあり。參考太平記には、此の伊達六郞に註して『金勝院本に云ふ、名は国衡、六郞を四源院本には次郞に作る』などあり。然れ共、是れ奧州といふにつきて、伊達南部に託せし假設の名にて、眞に其の人ありしにはあらじと思はる」と4行朝と居城小手濫觴に「伊達民部少輔政廣は梁川に居城し、追手を守る。高舘には伊達宮内大輔行朝あり」と。伊達氏の居城·赤館は、桑折驛四の丘上に在リ、土人は「伊達氏の太祖中村常陸介朝宗(時長)入道念四が創築なり」と傳ふ。館址の南に連りて、常陸館と云ふものあるは、常陸入道の名に因みあるべく、山下に其の墳墓もあれば、この傳說信じるに足るが如しと。伊達氏の系譜には、念四が赤館に移りし事を傳へず、然れども念西·文治五年冬始めて常陸の伊佐より伊達郡に移りて、先づ高子岡に城きて居られ、然して、其の逝去は正治元年十月二日、年七十一なれば、其の間十一年なり。此の間、更に赤館に築きて移られしものか。伊達郡村誌に「萬正寺村、文治年間、中村常陸介時長、其の次子爲重、功を以つて伊達郡に封ぜられ、本村高館の城に居る。時長卒し、滿勝寺殿と諡し、爲に一寺を創立し、滿勝寺と號す、後自ら村名となりしならむ。觀音寺(西館山)は高館山の南麓にあり。寶治年中、高館城主伊達四代政依、父義廣の爲に創立せらる。高館は建久度戌、中村氏、此に城く。遺址、今や荒寥に屬すと雖、其の區劃太だ廣く、中館と稱すニカリ、中央にあり。本丸と稱する者、其の東にあり。西館は四にあり。疊壁塹の形歷々尙存す」と。延元、與國、正平の際、伊達郡中、官軍の據守せしは、靈山、藤田、梁川、掛田、蓮沼、椿館等の諸城なりしことは、當時の文書に往々見ゆれど、其の城將の姓名を傳へず、されど其の城守の義軍は、專ら伊達氏の一族なりしならん。然して、其の頃の伊達氏總領が、祖先よりの居城は赤館なり。されば伊達行朝、宗遠、父子が此の年間に赤館を據守せしも、固よりありけむ。或は靈山城にも據られつらむ。其の後、應永九年に至りて、宗遠の男·政宗が、高田宮と同時に、兵を擧げて、鎌倉の上杉氏憲が圍を受けしは、正に此の赤館なり。大日本史に「與國四年十一月、常陸國伊佐落城の時、伊達行朝も、敵に降られし」と爲し、君を將軍家臣列傳に入れられしは、甚しき失考なり。君はタテタテタテ形エト タテタテ(政宗は應永十二年九月十二日卒、年五十三、本文に十を脫せしより、種々の疑問も起るなり)。家を保つ事二十二年なり。其の子兵部少輔氏宗、其の子大膳大夫持宗、其の子兵部少輔成宗、其の子大膳大夫尙宗、其の子左京大夫植宗、其の子左京大夫晴宗、其の子左京大夫輝宗(代々公方の御諱字賜ひしと見えき)、是れ則ち中納言政宗の父なり。輝宗·初め子息二郞が元服せし時、先祖大膳大夫政宗、文武の名譽、天下に隱れなかりき。されば汝も又あやかり參らせよとて、政宗と名のらす」と。臥雲日件錄に「姉小路聖壽院の坊主·來リ尋ね、對面して話の次で、奥州伊達の事に及ぶ。蓋し聖壽坊主の一族も亦伊達の庶子なり。而して宗領の減する所となる。凡そ領三十六郡、昔奥州一國に、三千騎の兵を領する者·七人ありて、伊達は其の一也。今伊達は獨り七千騎たり。伊達は乃ち山陰中將の奇也。中將は蓋し此の地に謫せられしならん。伊達·熊野、伊勢に參り、因りて京に入リ、聖壽院·これと會面す、歲五十七なりと。又曰ふ鎌倉賴朝·讒に依りて第九郞判官と隙あタテ三六〇リ、判官·伊達秀平に愚み、奧州に到り、遂にこれが爲に害せらる。後賴朝·伊達秀平を伐つ。是の時、山陰中將の一族七八十人同心し、夜中竊かに入りて敵を減殺す。此の勳功によりて、其の地三十六郡を得、爾來、鎌倉に屬す。永安時代に到り、鎌倉を逃れ去りて歸國す。故永安寺殿·三度征伐す。·初め十六萬騎、次に十七萬騎、十八萬に及ぶ。然れども平ぐを得ず。鹿苑院殿の代、京に屬し、今に此の如し云々。郡中に寺菴三百餘有り。就中、東生寺以下凡そ五ヶ寺は皆留陽門徒たり、伊達·之が旦那たり。東生は乃ち衆二百人、其の餘、或は二百人、其の餘或は百人、乃至五六十人也」と見ゆ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)
尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)
本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[75]:7頁
- 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[130]:28頁、31頁、34頁
- 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[212]:14頁
- 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[264]:7頁、44頁
- 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[269]:32頁
文献(NDLサーチ・Amazon)
- 石巻文化センター『石巻地域の伊達家家臣』石巻文化センター(1995) 国立国会図書館サーチ
- 石巻文化センター『石巻地域の伊達家家臣 企画展』石巻文化センター(1995) 国立国会図書館サーチ
- 菊池利雄『石母田氏と石母田城 : 伊達氏の重臣石母田氏と石母田城跡見学』国見町公民館(2007) 国立国会図書館サーチ
- 関屋淳子/取材・文・市川傳/撮影・藤田修平/取材「宇和島城 : 愛媛県 : 藤堂高虎が築城した難攻不落の海城。 伊達氏が再建した天守の均整美も随一」サライ、34頁(2019) 国立国会図書館サーチ
- 荻原一青/画・西ケ谷恭弘/文「宇和島城 : 藤堂高虎が築いた城を基礎に泰平の時代に伊達氏が改修」日本名城画集成、30頁(2016) 国立国会図書館サーチ
- 高桑登「奥羽南半における「伊達氏系遺物」の分布について」研究紀要、136頁(2003) 国立国会図書館サーチ
- 池上裕子「芦名氏・伊達氏の買地安堵制」日本の歴史、293頁(1992) 国立国会図書館サーチ
- 「青葉神社に伊達家家臣を祀る「祖霊社」と政宗公正室、愛姫を祀る「愛姫神社」が鎮座していた」月刊フォトジャーナル東風、9頁(1987) 国立国会図書館サーチ