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伊勢備後

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

至五五 イセイセイセ云熊、次に伊勢因幡守貞誠、伊勢右京亮貞遠、伊勢上野分貞弘、伊勢次郞左衞門尉貞頼、伊勢肥前守盛種、伊勢七郎左衞門尉貞俊を載せ、次に文安年中御番帳に伊勢九郞、伊勢動解由左衞門尉、伊勢孫次郞、伊勢又六、伊勢職河入道、伊勢備後守、同因幡守、同新左衞門尉、同三郞、同八郞左衞門尉、伊勢掃部助、伊勢下總次郞、次に永祿六年諸役人附に、伊勢因幡入道心榮、同七郞左衞門尉貞知、伊勢加費守貞助、伊勢又七、伊勢雅七代、伊勢次郞左衞門尉貞滿、伊勢宮千代、伊勢上野介、同幸松を載せ、次に長享元年九月將軍江州動座着到に、伊勢兵庫介、伊勢因幡守、備州伊勢掃部介盛賴、同彌八盛慶、備後伊勢又七、江州伊勢又六、伊勢彈正忠、伊勢伊勢守貞宗等あり。また康正二年造內裏段錢引付に、二貫文·伊勢因幡入道殿、播州溝抗段錢。同人百二十五文、三川國赤羽根郷段錢。同人五百三十二文、潼州則武郷段錢。同人五貫文、伊勢國志賀間段錢。同人三貫文、丹波國桐野河内段錢。次に一貫五百文、伊勢平三左衞門尉殿、尾州味岡段錢。三貫文、伊勢肥前守殿、丹州川上本庄段錢。貳貫八百六十七文、伊勢平三左衞門尉殿、江州栗太郡笠河段錢。一貫五百文、伊勢彥左衞門尉殿、尾州味岡段錢。五貫文、伊勢備後入道殿、備後國志厚利庄段錢。貳貫文、伊勢左京亮殿、尾張國落合〓段錢。同人壹貫文、越前國三職〓段錢。貳貫七百丈、伊勢因幡入道殿、丹波國相肺河內村段錢。五貫七百七十五文、伊勢因幡入道殿、美作國神部〓、嫡勇分二ヶ所段錢等を擧げたり。また長祿寬正記に「公方より伊勢兵庫助、仮尾下總守兩人を御使にて云々」また公方御使伊勢七郞左衞門尉、應仁略記に伊勢殿、應仁私記に伊勢彥五郞朝親(平)その他室町幕府に關する諸記錄に多く、擧げて數へ難し。猶ほ海東諸國記には「伊勢守政親、文明二年庚寅、使を遣はして來朝し、書して國王懷守納政所伊勢守政親と稱す。其の書略に曰はく、細川と山名と、私かに干戈を起し、京城大に亂る。余爲に停止せしむるも未だ止まず。兩人の罪少からざるなり。扶桑殿下の命により、諸侯諸軍を集め、將に太平を收めんとし、大國の餘力を掌らんと欲す。望む所、總紬綿布苧布米、其の進むる所の方物亦量。且つ政親國王近侍の長なり、庶政を出納する者、特に綿布、正右、各千西、米五百石を給す。次に軍需を助けば、國王に轉達せしめんる又政親に於いては別に回賜あらん。其使臣曾使の例を以つて館待す、」と見ゆ。見聞諸家紋に平氏伊勢守貞親佐々木本足アリ佐々木本中ノ點ナシ16伊勢家尊卑分脈に「賴宗-能季發伊勢少納言) -有家-能忠-保忠-能盛-有能-有國-盛國-最後-最繼-景〓-景康」と見ゆ。17大森葛山流藤原氏と稱す、大森葛山系圖に伊周-伊勢大夫忠親-惟康(伊勢新二郞大夫)と見ゆ。姊小路系圖同じ。而して忠親に「母祭主輔親三位女、上東門院女房、伊勢大夫(一本伊勢大村)外祖父に倚り、之を養育せしむ。國人呼んで大上大夫殿と呼び、或は師大夫殿と云ふ」と見ゆ。伊周の後と云ふ如き信じ難けれど、何等か伊勢と緣故ありしや想像するに雖からず。オホモリ條を見よ。18伊勢三郞義盛の事は、平治物語

系図・系譜

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