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五九(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

レ、英田、吉野、二郡の内を領す。平尾民部大夫(住作州吉野郡小原庄照田) -五郞左衞門尉(弟に新四郞あり) 1五郞大夫、第大炊動賴景(下庄村千原の構に楯籠る。明歷八年己來、竹山勢押寄、大に當ひ戰ふ。頼景·縣傳八と戰ひ、新免治部左衛門が放ちし矢に中り、終に同人に首を獲らる、墓所鍋谷山に在り)-太郞右衞門(第に彌十郞あり)-奥右衞門正重(元和六年度申七月廿日死、證月峯院秋翁壽觀こ-九郞兵衞景貞(明曆二年丙申八月廿二日死)-七耶左衞門忠宣」と。以上は森家系圖改めの時の書上の寫也。又一に「平尾與右衞門正重(一本に政家)は本姓衣笠氏也。世系·赤松播磨守頼範七代の孫、播州端谷城主衣笠豐前守政綱」云々と。以下衣笠條を見よ。又平尾家相傳古書類に「平尾與右衞門の千、女·衣笠助左衞門の妻、男子·平尾九郞兵衞、女·新免九右衝門の妻。平尾氏惣願代々書付、赤松圓心、一代平尾民部太夫、此の人·赤松沒落後、播州東本今平尾村に浪人仕り、名を名乘りて平尾民部大夫と云ふ。其の以後、作州小原古町村の内圧田と申す所に住居、英多吉野を領す。其の子五郞大夫、其の子五郞左衞門、其の子太郞右衞門と申す。此の時に下町竹山城え、新免伊賀守領分成るに付、以後宮本え浪人仕リ居り候故、老名を以て宮本無仁と申し候。其の子武藏と申す。此の親子共に望み之れ有るに付、武蔵姉と衣笠九郞治と妻合はせ、家を繼ぎ申し候。其の子與右衞門と申す。其の子九郞兵衞、其の子與右衞門、其の子十右奮門」と0又「赤松次郞圓心の子貞範·美作の守護たり。嘉吉元年、赤松滿祐·將軍足利義〓を殺し、同年九月一族悉く誅に伏す。此の時貞範の子民部太夫遁れて、播州東本郷平尾村に隠れ、四世奥右衞門正家に至リ、吉野郡下庄村に移住す、天正中の事にて、元和六年七月發す。其の子九郞兵衞景貞の時、慶長八年二月、森忠政·美作に封ぜられ播州千草より越して、此の家に次し、其の書を賜はる」と云ふ。凡そ此の氏·衣笠、宮本、平田等と系混じて分ち難し、各條參照。又久米郡全間邑の平尾氏は織田信長家臣平尾兵分類忠の後にて、永祿五年桶狭間合戰に功ありしが、本能寺の變に力戰して死し、其の子玄蕃分、及び和平太通れて當國吉野郡に來り、竹山城主新免伊賀守宗貫に頼る。後久米南條郡北の庄に至り、土地の豪勇現光なるものと戰ひ共に死す、其の墓を平尾塚と稱す。次いで弟和平太·重患に罹り、全間村に止つて歸農す」と云ふ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁)

系図・系譜

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