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二二四四

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

三三八ケリ二三八二三一一二二四一言Illus索Imm三三H二二四四引二三六刑ケイ漢よりの歸化族なり。漢土にては、周公の第四子刑の後裔なりと云ふ。和銅七年正月紀に「刑義善」と云ふ人見ゆ。〓ケイ百濟族と云ふ。漢土にては、古への熊繹の國を、又莉國と云ひ、其の後なりと傳ふ。正倉院天平神護元年文書、及び懷風藻等に見ゆ。神亀元年五月紀に正七位上荊軌武、姓を香山連と賜ふ」とあり。カグヤマ條を見よ。圭ケイ百濟族にして、天平實字五年三月紀に「百濟人圭阿内等二人に、姓を〓湍連と屬ふ」と見えたり。敬ケイこれも百濟族なりと云ふ。漢土にては、陳の属公の子敬仲より出づと云ふ。持統紀に「百濟敬須德那利·を以つて、甲斐國に移す、」と見ゆ。契ケイ正倉院天平十一年文書に見ゆ。慶ケイ慶滋の略也。播磨國神崎郡に八葉寺あり。峰相記に「八德山は寂心經始の砌リ、賀茂忠行の男、陰陽道を出で、儒家に入り、姓を改めて、慶保胤と云ふ。寬和の頃出家して、當山に別け入り、其の地勢を見、山は八葉の喜瑞を表したりとて、正曆年中に堂舍を建立す云々」と。ヨシシゲケイケイケイ-ケイクワ二二三九 ケイクワ-ケイシユケイソウ-ケイトクケイナカ-ケイロ二二四〇天正慶長中の寺主、豐臣氏に昵近し、庫裏、客門等を修營す。綿談文雅に「第二世守悅上人は、之明中、御裳濯橋を造營し、第三世〓順上人は、天文中、内宮假殿遷宮。四世周養上人は、天正中、内宮假殿、及び正遷宮を、執リ行ひ、又外宮正遷宮を行ふ。其の後、守〓上人、守長上人、相繼ぎ、寛永、慶安の正遷宮を行ふ。後其の造營執行を停めらる」(五鈴遺響)と。〓順-守悅-智珪-〓願-周養-周〓-周寶-周長-周貞-周榮-周香-周奥-周億-周恭-周昌-盈子-利敬。當院は他の寺堂と異にして、佛像及び梵唄、鐘數等の類無く、住持は歷代傳奏を經て、勅許あり。紫衣を賜ふ比丘尼にして、宗旨は禪宗、無本寺なりと云ふ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)

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