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事

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

條を見よ。30若狭の海部今富稅所次第に「應永七年六月八日、八幡宮加新道に御遷宮これあり、其の時勅使海部衞門五郞理泰」と見ゆ。31越前の海部坂井郡に海部〓あり、和名抄に安萬無倍と註す。海直及び海氏を併せ見よ。32角鹿海部アマ條を見よ。33佐渡の海部羽茂郡に當國一の宮度津神社あり、度津はワタツ卽海ノにて、海神を祀ると思はるれば海神族の經營かと想像さる。34海部直海部の長に海部直と云ふもの多し。これ其の國の國造家か、或は多數の海部を率ゐ、宛然一國の形勢をなせしによるべし。35豊後の海部直景行本紀に「兄弟命、大分穴穗御埼別、海部直等祖」と見ゆ。こは豊後海部の長にして海部郡の大頷主たりしと考へらる。36肥前の海部直肥前風士記、三根郡條に「昔者此郡は神島郡と合して一郡となれb然るに海部直島、請うて三根郡を分つ。卽ち神崎郡三根村の名により、以つて郡名と爲す」と見ゆ。肥前澤部の長たる氏なり。中世海宿禰あり、此の氏の待か。同上神社文書に見ゆ。其の時勅使海部衞門五郞理泰」と37紀伊の海部直神龜元年十月紀に「名草郡少領正八位下大伴機津連子人、海部直士形、二階を進む、」と見ゆ。當國に海部多し。海部條を見よ。33隱岐の浮部直天平元年の隱岐國正稅帳に「郡司少領外從八位上勤十二等海部直大伴」なる者見ゆ。こは歸岐海部の首長たりし氏なり。39因幡の海部直因幡國養老五年の戶籍に「海部直橋足女、海部直羊女」等見ゆ。因幡海部を率ゐし氏也。吉備海部直記紀に多く見ゆ。古事記仁德段に「吉備海部直の女·名は黒日賣」また雄略紀に「吉備海部直赤尾」また敏達紀に「吉備海部直難波、同羽島」等見ゆ。上古の大族なり、一部紀伊に分居せしが如し。41丹後の海部直奥謝郡の大族、當國々造の一族にして、當地方に於ける海部を統べし氏也。天孫本紀に「火明命六世孫建田背命は神服運、海部直、丹波國造、但馬國造等祖」と見ゆるより出づ。又海直ともあり、本郡の大領此氏より任ず。天平九年の但馬國正稅帳に「丹後國與謝郡大領外從八位上海直忍立」を載せたその後裔、籠神社の神主なり、宮津志に「系圖に籠神社神主海部直祖天火明命、品太天皇御字、定海部直姓」とあり。現今なほその系圖を保存す。與謝郡電神社は此氏の氏神なり。籠名神社稅部氏系圖丹後國魚謝郡從四位下籠名神從元子今所曆、奉稅部率仕海部直等之氏、始祖彥火明命4正置吾第二子子力不可讓耳n色凍日三世孫倭宿禰命孫健振熊宿禰此否使未推同官留参想直接定額に通過仕天皇御字重支晶太兒海部直都比兒海部直縣兒海部直阿知兒澤部直刀兒海部直兒海部直伍佰道稅從乙巳養老元年合三十五年奉仕兒海部直愛志稅從養老三年至于天平勝寶元年合三十年奉仕兒海部直千鳥通商都直干或電臺氣重千足稅從養老五年至子養老十五年仕奉兒海部直綿鷹稅從天平勝賓二年至千天平寶字八年合十五年奉仕兒海部直望麿稅從天平神讀元年至于十年合十五年奉仕兒海直雄豊稅從延曆十一年弘仁十年合二十五年奉仕澤部直田體稅從弘仁至于承和十四年合海部直田雄稅嘉祥稅部とは租稅を調收する事を職とする人を云ふ。和名抄主稅を知加良と關ず。此氏代々稅部とあるは本郡の郡領を務め、租稅を調收せしによる、しかるに伹馬正稅帳に見ゆる海直忍立の見えざるは不審と云ふべし。42中島海部直尾張國中島郡にありし海部の長か。天神本紀に「天肯男命、尾張中島海部直等祖」と見ゆ。43大海部直天孫本紀に「火明命十世孫淡夜別命、大海部直等祖」また「尾張多奥志連、大海部直等祖」と見ゆ。尾張導部を參照。44海部首これも海部の長たりし氏なリ。海首を參照せよ。45備中の海部首顎聚三代格、卷一、天平三年六月廿四日の勅に「備中國海部首」見ゆ。46出雲の海部首天平十一年の大稅販給歷名帳に「漆留〓深仁里海部首目列、外工田里海部首牛女」等見ゆ。47韓海部首抵津にありし氏なり、韓土より歸化せし海部の長と考へらる。姓氏錄、未詳雜姓攝津の部に「韓海部首武内宿禰男平群木蕙宿禰の後と云へり、見えず」とあり。 アマヘ-アマミ43海部公豊後海部郡の大族にして延曆四年正月紀に「豊後國海部郡大領外正六位上海部公常山等、職に居りて懈らず、民を撫づるに方あり。是に於いて詔して並に外從五位下を授く」と見ゆ、恐らく豊後海部直と同族なるべし。49海部公族海部公配下の民ならんか。豊後國大寶二年戶籍に「海部君族乎婆賣」なる者見ゆ。50海部宿禰海宿福に同じ。その條を見よ。

系図・系譜

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