コンテンツにスキップ

也

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

條を見よ。東鑑卷十八に〓圖書九〓定、三十、三十一に〓判官季氏、三十二に清右衞門大夫、三十四、三十五、三十六、三十八、三十九、四十一、四十四、四十七に〓左衞門尉滿定、四十に〓文左衞門尉、四十、四十二、四十八に〓左衞門尉清定等を下りて室町時代、文安年中御番帳に本キヨ條を見よ。日向記に、〓〓次郞、清菅原氏を會津の名族にして、盛攝津は若セーセイセイセイ セイカイセイカイセイカム松稻荷神社の社家、もと盛紀氏と云ふ。新編風土記に「其の先は葦名盛興の庶子力丸とて、母は其の臣片平助右衞門氏範が女なり。懷姙の初め、本妻の嫉妬をさけ、父氏範がもとに在りて、此の力丸をうめり。後程なく、盛興卒して嫡子なかりしかば、老臣等相謀りて、一族二階堂盛隆をもて養子とし、華名家を續がしめ、血脉の力丸をば棄てゝ顯はさず。盛隆又程なく卒して、其の子龜王丸も世を早くせしかば、片平·此の度は力丸をこそと思ひしに、案に相違して、佐竹義廣を養子と定めしかば、氏範·病と稱して、己が所領に籠り居しが、憂憤に堪へず、葦名家を叛きて伊達政宗に降りぬ。此の時、力丸は母と共に民間に竄れ、紀氏の家に育はれ、漸く年長じて當山派の修驗となり、盛法院と號せり。蒲生氏の時當社の別當職となる云々」と見ゆ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

系図・系譜

関連論文

外部リンク