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九郞(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

國寺の城に在城す、長祿二年十月韮山へ移りける」と載せ、太閤記には「北條家の元祖早雲は、生國伊勢と云は虚說也、伊勢新九郞と號せしに因て也、松田生國は備前國、內藤は丹波、〓水笠原は伯耆、大道寺は尾州生國、早雲備中より武者修行に立出し時、才勇兼備りし士をかり催し侍りつる」云々と見ゆ。早雲今川氏配下として戰功ありし事は駿遠參の諸記錄に多く見ゆ、而して伊豆に入り北條氏を稱せしについては「足利公方堀越におはす時、北條某此城に在り、子なくて堀越御所に請ひ、駿河國興國寺城主伊勢新九郞長氏をして其の遺跡を繼しむ。長氏長享二年十月此城に移る、因つて伊勢を改めて北條を氏とす」とあり。因幡の伊勢氏因幡志八上郡下野村條27に「小倉に伊勢三郞義〓の屋鋪跡あり」と見ゆ。伊勢氏に因幡入道あり、前に云ヘリ。23近江の伊勢氏康正二年造內裏段錢引付に江州栗太郡笠河段錢、伊勢平三左衞門、また長享將軍動坐着到に江州伊勢又六とあり。佐々木氏の一族にも伊勢氏ある事前に云へり。29尾張の伊勢氏康正遺內裏段錢引付に伊勢左京亮尾張落合郷、同平三左衞門尉及び彥左衞門尉、尾州味岡段錢とあり、前に云へり。30丹波丹後の伊勢氏同上段錢引付に、「伊勢肥前守、丹州川上本庄、因幡入道、丹波桐野河内段錢」と載せたるが、:ハより前正應元年丹後國諸庄〓保田數帳に「丹波郡樂音寺庄十一町七段伊勢下總守熊野郡川上本庄長福寺、二十六町九反三百二十步、伊勢肥前守」と見えたり。31越前の伊勢氏康正二段錢引付に伊勢左京亮が越前國三職〓に領地を有せし事を載せたり。32其の他伊勢氏は東鑑卷二に伊勢守〓綱卷四、五に伊勢三郞能盛あるを初めとして、四十七、五十に伊勢入道行願、三十二に伊勢塵内左〓門尉、三十六、三十九、四十一、四十五に伊勢加藤左衞門尉、三十六に伊勢五郞左衞門尉、四十九、五十、五十一に伊勢三郞左衞門賴經、四十二に伊勢次郞行經、四十六、四十七、四十八、四十九、五十一に伊勢二郞左衞門尉行綱、三十六、三十七、三十九、四十一、四十ニ、四十四、四十五、四十六、四十七に伊勢前司行綱等あり。又永祿中伊勢に伊勢氏直なる者あり、北畠氏に屬す。又德川時代村上内藤藩用人に伊勢氏あり、岩代にも現存す。伊世イセ次の二流ものに見ゆ。又伊勢時に伊世と通じ用ひらる。

系図・系譜

関連論文

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