九三(9)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
9伊勢神名式、飯高郡、及び壹志郡に物部神社を載せたり。「繼體紀に物部伊勢父根と云ふ人あり、其の祖を祀りし也」(考證再考)と云ふ。又近長谷寺堂會資財帳に「多氣郡相可〓十七條四、少山里、並に大朽里、十六條七、新家里云々。右の治田は故物部廉相·去る延長二年を以つて施入。廿一條三、河合里云々。右の治田は物部茂世の施入、延長二年」など見ゆ。其の他、飯高郡に飯高物部、奄藝郡に奄宜物部·住居したり。又文化二年、安濃郡塔世四天王寺の藥師佛を開龕して、諸人に拜せしめしに、佛軀の中·空洞にして、物を容るに似たり。物部廣麻ま 探り見るに、一卷の軸、及び続卷樣の物等あり。其の册子、及び舊案を披くに、本保四年、及び康平五年の古文書ありて、「承保四年二月二日を以つて、藥師如來御像中に納る云々。物部吉守の作、本麺屋主·物部美沙尾。内作物部吉守、同吉末、未作服重孝、同重〓」等見ゆ(五鈴遺警)。10尾張和名抄、愛智郡に物部〓を收む、名古屋市の東部かと云ふ。又神名式、此の郡及び春部郡に物部神社を載せたり。氏人は第百三十二項,及び物部屋形の條を見よ。11參河三河國造は此の族也。而して弘仁四年正月紀に「參河國人物部敏久」あリ、物部中原宿禰姓を賜ふ。その他、第百三十三、百三十四項を見よ。12遠江第百三十五項參照。部人は天平十年の駿河國正稅帳に「遠江國使物部石山を載せ、また天平十二年の濱名郡輪租帳に「物部賀佐麻呂、新居〓物部白麻8.また萬葉集卷二十に「國造丁長上郡物部秋持、長下郡物部古麻呂」また靈異記下卷の三十五に「遠江國樣原郡人物部古丸」など見え、又元亨釋書卷二十九に一針屋郡人物部省13駿河和名抄、登頭郡に物部〓を收めて、毛乃乃倍と註す。此の部民の住みし地也。また有度郡横太郷は橫田物部の住みし地かと云ふ。その他、駿河條參照。14甲斐式内山梨郡物部神社は、此の品部の奉察せし名祠なり。15伊豆當國國造も物部氏也。伊豆、三島、矢田部等の條參照。16相摸願業國史卷五十四に「大同二年三月云々、相摸國愛甲郡人物部國若女」なるもの見ゆ。猶ほ第百三十六項を見よ。17武藏萬葉集卷二十に「主帳荏原郡物部歲德、荏原郡上丁物部廣足、橋樹郡上丁物部眞(直)根、埼玉郡上丁藤原部等母麻呂、妻物部刀自賣」など見ゆ。入間郡には式內物部天神社あり。又橘樹郡坂戶は坂戶物部の在りし地か。その他は第百一、、第百二十項、百三十七項を見よ。18安房第百三十八項參願。19下總香取、匝瑳等の條を見よ。又部人は萬葉集卷廿に「種混郡上丁物部龍、山邊郡上丁物部手刀良」など見ゆ。又和名抄、千葉郡に物部〓を收め、又地理志料に「舊事本紀に物部山無疑あり、山と山梨と通ず。其の兄を物部印電連公と曰ふ、印葉も亦印播郡と語相渉る。其の膏に物部小事連公あり、是れ物部匝瑳連の祖たり、匝瑳、印播の二郡相郡る、必ず由ある也」sa各條參照。後世なるは第百三十九項を見よ。20常陸當國にも多く、常陸風土記、信太郡條に「古老曰ふ、難波長柄豐前大宮取字(孝德)天皇の世、癸丑年、小山下物部河内、大乙上物部會津等·抱領高向大夫に請ひ、筑波、茨城郡の七百戶を分ちて、信太郡を置く」と載せ、また養老七年三月紀に「常陸國信太郡人物部國依」(信太連姓を賜ふ)、また正倉院文書常陸國戶籍に「物部田次女、物部眞刀自賣、外三人」等見ゆ。猶ほ久慈郡佐竹〓は佐竹物部の住みし地か。その他、久慈、有道、兒玉等の條參照。21近江當國も物部の榮えし地にして、一の根據地たりしかと思はる。和名抄栗太郡に物部〓を收め、毛乃倍と訓じ、高山寺本には毛乃乃倍と註す。また伊香郡に物部村あり。伊香色雄と關係あるべし。部人裔の物に見えたるは、天平勝寶九年四月七日の西南角領解に「物部福万呂(近江國大上郡大田郷戶主建福千万呂戶口)」伊豆、三を載て、また實地元年九月紀に一様親族·近江四人に八位下物部宿圖伊賀府呂等三人·本姓物部に復す」と見え、また嘉祥二年十月紀に「近江國愛智郡人普博士從六位下物部彌範、散位從六位下物部弘範等、本居を改めて、左京六條二坊に貫附す」等あり、其の他、第百四十二項を見よ。又元慶六年十月紀に「近江國正六位上物部布津神に従五位下を授け奉る」とあるは、此の氏と關係深かるべし。又天孫本紀に「彥湯支命は淡海川枯姫を妾と爲して一男を生む」と見ゆる川枯姬は、式帳甲賀郡川枯神社二座とある地の人なるべく其の孫大水口宿禰は同郡水口神社に緣故あらん。その他、第百二十二、百四十二項參照。22美濃當國にも多く、大寶二年の栗栖田里戶籍に「二戶、妻に三、母に三、寄人に四」を載せ、又同々里戶籍に「寄人に一」、半布里戶籍に「二戶、母に二、妻に四、妾に一、寄人に一」等見え、又天平勝實二年の國司解に厚見郡草田〓戶主物部足麻呂、又貞觀六年八月紀に「美濃國多藝郡の人、太政官史生正八位下物部吉宗·本居を改めて、山城网愛宕郡に貫すと見えたるは、石像鳥目村邊の人かと云ふ(新撰美濃志)。又和名抄、多藝郡に物部〓を載せ、寶亀八年紀に當郡なる物部坂麻呂·物部多藝連姓を賜ふ。その他、和名抄、安八郡、本集郡等にも物部〓を載せ、又石津郡に建部卿あり、物部の誤にして、前述馬目(マノベ)は物部の轉かと云ふ。又當國神名記に「多藝郡從四位上物部明神、石津郡從六位上物部補劔明神、安八郡從五位下物部明神、大野郡從五位下物部津明神、本業郡從五位上物部明神、方軽郡從五位上物部明神、厚見郡從五位下物部明神、從五位下物部財主明神·從五位下物部財公明神」等を載せ、又「厚見郡正一位伊奈波大神、正三位金大神」とあるは、當國後の國造物部氏の宗祀にして、延喜式、厚見郡物部神社と云ふに當る。猶ほ方軽郡方縣津神社と云ふも物部社の一也。詳細は美濃條を見よ。23信濃第九十五項參照。24上野天平神護元年十一月紀に「上野國甘樂郡人中衞物部處淵」等五人に、物部公姓を賜ふ。下つて甘樂郡高尾村仁治四年二月二十六日古碑に物部國忠·見ゆ。又第一一八項多又モノ、修今照25下野芳賀郡に物部〓ありて、和名抄に見ゆ。26陸奥斯波條參照。又承和七年三月紀に「宮城郡權大領外從六位上動七等物部己波美」なる者見ゆ。その他、第百十六、百四十、百四十一項、及び物井、物江等條參照。27越前天平神譲二年の當國國司解に「(江沼郡)彌太〓戶主秦得廣戶口物部田次、(足羽郡)井出〓戶主物部若子、(足羽郡)額田〓戶主物部元日、同〓戶主物部黑麻呂、(足羽郡)中野〓戶主物部古麻呂、同小金、同石床、(足羽郡)草原〓戶主物部動神、同〓戶主物部黑公、(坂井郡)長畝掘戶主物部稲倉、(坂井郡)磯部〓戶主物部國足、赤江〓戶主物部足國、(坂井郡)福醬〓戶主物部咋廣、(坂井郡)港部〓戶主物部國持、同〓戶主物部小國、(敦賀郡)鹿義〓戶主物部兄麻呂、坂井郡海部〓戶主物部國持、鹿蒜〓戶主物部廣田」等見え、又國郡未詳計帳(天平五年數)に「物部千代、越前國」、貞觀十八年二月紀に「越前國坂井郡人、從八位上物部恒龍又モノ、和名抄 モノノヘモノノヘモノノヘ白天の男貞守·丹生郡人物部富主の位隆を詐り旨し、位子に貫擧せられ、課役を國除せらる。國司申請し、律によりて罪に科し、本邑に還着せんと。太政官處分し請による焉」など見ゆ。以上にて敦賀郡よリ丹生郡に及び、最も多かりしは足羽、坂井二郡にして、それより江沼郡に及びしを知るべし。猶ほ正倉院天平神護三年文書に「中野〓戶主物部古麻呂男物部越麻呂」等見ゆ。28加賀和名抄、加賀部岸田婦は岸田物部の住居せし地なり。29越中延喜式、射水郡物部神社は此の部民の奉寳せし宮なるべし。その他、第九十六項參照30能登正倉院天平實字三年文書等に見co 31越後和名抄、頸城部に物部〓を載せ、神名式、頸城郡、及び三島郡に物部神社を收む。また刈羽郡に二田村、二田明神あり。二田物部の住居せし地か。當國物部卿は後世、武士〓、武士村と云ひ、モノノフとよめり。その郷内に式内物部神社·存し。に式內五十会静社等あり。;物部印被美迎!國係あらんと云ふ。それより少し北に進み、三島郡に行けば、此處にも式内物部神社ありて、後二田村二田明神と云ふ。止じ物部は二十五部物部の一なる二田物部かと考へらるれど、此の社が秘蔵する物部社記、吾天津御舊記、二田宮正神主家由續家系大略紀の如きは、疑書ならんと云ム。又後世、當國彌彦社上條神職に此の氏あり。32佐渡延喜式、雜太郡に物部神社あり。33丹波和名抄、何鹿郡に物部鄉ありて、今物部村、又物部實掃社等存し、又延喜式、船井郡に島物部神社を收む。皆此の部民の住居せし地也。而して東寺文書、延喜十九年當國牒に「大目·物部」を載せたり。強ほ第百十一項參照。34丹後和名抄、奥謝郡に物部郁を收め、又式内物部神社·同郡にあり。又正應田數目錄に「與佐郡物部葛保、物部婦少神田」見ゆ。35但馬延喜式、城崎郡に物部神社あり。又物部庄、物部上庄、物部下圧等見ゆ。後世なるは第百四十三項を見よ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)