丹生人(9)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
9稻城丹生公和氣氏の族にして、姓氏蜂、左京皇別に「稻城丹生公。垂仁天皇の皇子鐸石別命より出づる也」と見ゆ。イナギ、及びミブ條を見よ。氏人は元慶八年二月紀に「先位稻城丹生公眞秀に從五位下を授く」などあり。10息長丹生眞人廳神帝の裔、息長眞人の族にて、近江國丹生の地に住居せし氏也。神名式、伊香郡に丹生神社二座とあるは此の氏の氏脚なるべし。氏人は天平勝寳九年四月七日の西南角領解に「未還息長丹生眞人川守(右京九條一坊卽戶主)、息長丹生眞人犬甘(右京九條四坊戶主息長丹生眞人人主の戶)」を載せ、また天平寶字六年八月廿七日の造石山院所勞劇帳に「息長丹生眞人常人(左京七條二坊)」など見え、姓氏錄は右京皇別に收め、「息長丹生眞人。息長眞人と同祖」と載せたリ。11大和の息長丹生眞人天平寶字五年十一月二十七日の十市郡司解に「十市郡池上郷云々、右左京七條二坊戶主息長丹生眞人廣長·貫地」と見ゆ。第十五項參照。12丹生眞人前項氏に同じ。明匠略傳に「先祖應神天皇第七皇子の苗裔也」と見増13丹生宿禰息長氏の族か。姓名錄抄、拾芥抄等に見ゆ。14無尸の丹生氏息長丹生氏の族にして、諸門跡譜等に見ゆ。15大和の丹生氏第十一項參照。至德元年四月の大和武士交名に丹生氏見ゆ。16若狭の丹生氏第二項氏と關係あるか。前述の如く和名抄、遠數郡に丹生〓を載せ、又神名式、遠數郡に丹生神社、三方郡に丹生神社及び仁布神社を收む。其等と關係あるべし。貞觀十二年十二月紀に「若狭國遠敷郡人丹生弘吉云々、勅して位二階を叙す」と見ゆ。なほ次項、及び違數條參頭。17桓武平氏長田氏族前項の遺跡を襲ぎしにて、東寺文書、仁平元年三月に丹生二郞を載せ、また建久七年六月の若狹國源平兩家祇候輩交名に「丹生出羽房雲嚴」見ゆ。また仁平元年三月の僧乘蓮が所帶證文案に「丹生二郞殿に附屬する田畠の事、合丹生村太良保二ヶ所、鞍內浦等、右云々」また建治二年七月の文書に「若狹國太良御庄内未武名主·中原氏重ねて言上す。乘蓮女等を引入るゝ爲云々。右當名は當國重代御家人丹生出羽房雲嚴が先祖開發領也云々」など載せたり。而して同類の古文書どもを考るに、雲嚴は、太良保の公文職長田下野守平師末が二子丹生次郞隆〓、其の子忠政·相續いで、同保公文職となりて、其の子雲殿·治承四年二月二十三日に同保の公文職となれる由みえたり(神名帳私考)。又大治元年二月源某(名不明)所領の田畠山林等を、丹生二郞隆〓に讓る公驗狀に「靑〓六ヶ所云々、海一所字鞍道浦」とあるなど載せ、又同公驗狀をもて、仁平元年三月隆〓が嫡子丹生若丸に、其の繼祖父平某、祖母小櫻氏が附屬狀等あり。18·上野の丹生氏當國丹生〓の豪族にして、平家物語に「上野國住人丹生四郞」見え、一に仁字四郞に作る。19〓和源氏新田氏族上野國甘樂郡丹生郷の地は新田氏の所領にして、弘安元年道受讓狀に見ゆ。新田、後閑等の條參照。その後、岩松新田兵庫〓明純の男顯純は丹生太郎と稱す。その子治部大輔憲純なリ20.字都宮氏族下野の豪族にして、時綱を祖とす。字都宮條參照。21武藏の丹生氏多摩郡小丹波村熊野社の神主家等にあり。22紀伊の丹生氏第一項の後にして、名所圖會に「丹生一麻呂の家は、丹生都比女社社地の坤に在り。大別器とて自器に非らざれば飮食せず。旅行にも家僕に器を負はするを例とす。日本紀に天野祝と見え、神代より子孫連綿として、希代の舊家なり。古文書數百通を藏し、惣神主殿と呼ぶ」と見ゆ。23豐後の丹生氏當國丹生擲より起る。丹生小次郞正俊等あり、吉岡條を見よ。24日向の丹生氏諸縣郡の豪族にして、倉岡郷有田村池尻城に據る。當城は地理時綱姓名錄抄、ニフラニ四三八 ニフ-ニフセムニフタTime 1利仁流藤原姓越中國新川郡入善庄より起る。この庄名は東大寺要碌承久三年に見ゆ。この氏は井口氏の族にて、石黒、野尻等と同族也。平家物語に「越中國の住人入善小太郞行重」を載せ、長門本に「宮崎太郞が嫡子入善小太郞爲直」、盛衰記に「宮崎氏の一族に入善小太郞家安」云々などあり。又中興系圖に「入善。藤原.本國越中」と見ゆ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)