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中臣(5)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

5雷大臣荒木田系圖には「國摩大鹿島命(垂仁天皇二十五年、天照大神·五十鈴川上御鎭座の時、祭主と爲る。一名雷大臣、始めてト部姓を賜ふ) -大狭山命-天見通命」と載せ、分脈に「國摩大鹿島命-巨陝山命-跨耳命(雷大臣命·正說也一本に此の號·此の如し。是れ跨耳の別體歟。雷大臣命は、足中彥天皇の朝延·大兆の道を習ひ、龜トの術に達し、姓をト部と賜ひ、其の事に供奉せしむ)、第天見通命」to雷大臣は疑問の人物にして、姓氏錄、中臣志斐運條に「天兒屋根命十一世孫雷大臣命男第子云々」と載せ、壹伎直條に「天兒屋根命九世孫雷大臣」、神奴連條に「同神(兒屋根)十世孫雷大臣命」、生田首條に「同神(兒屋根)九世孫雷大臣命」、河內の中臣連條に「同神(津速魂)十四世孫雷大臣命」と見え、なほ未定雜竓中臣栗原連條に「天兒屋根命七世孫雷大臣」、同津島直條に「天兒屋根十四世孫雷大臣命」、三間名公條に「仲臣雷大臣命」とあり。又天應元年紀栗原勝の奏上に「中臣遠祖天御中主命二十世の孫意美佐夜麻の子伊賀都臣」と見ゆ。右の内、姓氏錄、未定雜姓の說は同書も疑へる如く採るに足らず、又栗原勝の奏上も採り難し。皆各條を見よ。又分脈等が誇耳、或は大鹿島の別名とするは、ト部關係の史料に據りしにて、後世の推測に過ぎず。蓋し雷大臣とは、仲哀紀九年條に中臣烏嚴津連と載せ、神功紀、允恭紀等に中臣烏賊津使主とある人と同人にして、姓氏錄に從つて、兒屋根命の九世、十世、或は十一世頃の人とすべし。時代より見るも大體然り。猶ほ中臣系圖の伊賀津臣とも同人なるべければ、早く古系圖の失はれて、中臣、藤原兩氏とも、此の人を兒屋根命五世孫に收めしを知るべし。然るに姓氏錄所載·此の氏支族の系圖にては、九世、十世、或は十一世と傳へ、又書紀に據りて、仲哀應神頃の人なるや明白なれば、或は跨耳の別名、或は大奥島の一名とし、遂には跨耳を省き、更に雷大臣を收めたるが故に、イカツノ臣は一系圖に二人ある事となり。一層後世のものは皆然り。再按するに、此の人は仲哀紀九年條に、鳥賊津連と載せ、大夫の筆頭とすれば、相當の年輩たりしや、推知するに雖からず。而して神功攝政前紀に「中臣烏賊津使主を審神者と爲す」とあり、同人なるや明白ならん。然るに更に遙か隔りし允恭紀七年條に「一舎人中臣烏賊津使主」を載せたり。若し同人とし、仲哀朝九年に二十歲とするも、書紀の年代より云へば、二百四十の高齢に達すべく、實際の年代仲哀紀九年條に中臣烏 明紀の大夫中臣鎌子に當るや明白也。よりて阿麻毗舍は雄略朝、或は允恭朝頃の人にして、その父大小橋は仁德朝頃の人、よりて仲哀朝なる鳥賊津連の子、或は孫と考へらる。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[161]:4頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[165]:5頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[249]:53頁、54頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[309]:31頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[311]:36頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[335]:68頁

本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[130]:5頁

華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)(明治15年)下巻:186頁
  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)(明治17年)下巻:186頁
  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)附録 巻之1:113頁
  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)下巻神別,外別:184頁
  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)下巻神別,外別:178頁

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関連論文

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