中臣(多臣流)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
8多臣流中臣氏常陸國の那珂郡より起る。この地は古代·那珂國(仲國)の地にして、此の氏は其の國造の氏姓たり、卽ち仲臣と云ふに同じ。ナカ條、カシマ條を見よ。而して建鹿島命(建借間)を祖とし、鹿島神宮を氏神とす。カシマ條參照燃るに、此處に怪しむべきは、中古·中央に在りし中臣氏も、それより出でし藤原氏と共に、當國鹿島神を氏神とし、大和國春日に勸請して其の主神とす、(カシカスガ條を見よ)。而して一方、藤原氏の祖中臣鎌足も、當國鹿島の人と傳へ(カシマ條參照)、その關係の啻なるを思はしむ。然るに一方、中央の中臣氏は、前述の如く鎌子、勝美の二代·佛敵となりて亡び、而して中臣氏本系帳は、次項引用の如く、黑田の子常磐に至り、始めて中臣連を賜ふと云ひ、又「中臣姓始」と載せたり。常磐は鎌足の曾祖父也。然らば太古以來連綿と二〇八より云ふも、神功皇后攝政期、及び應神、仁德、履仲、反正、尤恭の諸朝を經過するなれば、百三十歲以上なるや明白とす。人壽として斯かる筈なければ、烏賊津使主とは、伊香の臣の義にて、家號と見ざるべからず。卽ち姓氏錄が、イカツオミを天兒屋根命の九世、十世、十一世など傳ふる事は、相當の理由ある事にて、數世、烏賊津使主と稱せしに因るならん。蓋しイカとは、姓氏錄、帝王編年紀等が、伊香連を此の人の後裔とする事より、近江國伊香郡伊香郷にして、中臣氏の宗家は當時此の地方に在りしものと考へられ、又物部伊香色雄と密接なる關係ありと思はる。後述の如く、中臣熊凝氏、中臣習宜氏等が、物部氏族なるは、此處に因を發するか。思ふに、中臣氏は伊香色雄の女婿となりて、此の地を得たるならん。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)