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中田(6)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

6武藏の中田氏前項參照。新編風土記、都筑郡條に「中田氏、先祖加賀守は北條氏の家人にして、その祿·今の石高をもつていはゞ三萬石ほどを受しものなりと云ふ。此邊より稻毛等、すべて郡代せしよしを云ひ傳へり。北條家人役帳を按ずるに、中田加賀守が名をのせて、小机の内川島、及び矢上の內十五貫四百二十文を領せしよしをのす。天正十八年、小田原沒落の時、加賀守は己が采邑矢上村へ落來リ、同年歿せしにより、同所保福寺へ葬れり。その子藤左衞門は後に當村ヘ移れり」と。役輾に「中田加賀守·十五貫二百八十二文、小机靑戶內長谷川」と見ゆ。また「中田加賀·小机矢上の內三貫八百七十文、」「十五貫文、中田加賀守知行、小机戶手内岩本右近分」などとあり。次に橘樹郡矢上村に舘跡あり、「村の中程熊野社の後背の陸田邊なり。保福寺を建立せし中田加賀守が住せしと傳ふ。又うつ木の一むらなせる所あり、是れ加賀守が先祖の墳なりと。土人·此の木にふるゝことあれば、必ず奇病をうるとて、近くよるものなし。この地は百姓武右衞門と云ふものゝ持なるが、彼の先祖は渡邊何某とて加賀守が家士なりしと云ふ。又同郡に井田城(井田村)あり、村の西南の隅に其の跡を存し、いりの上と云ふ。五町四方ばかりの間に、かたち殘れり。古く此所の土中より壺の形したるもの、および種々の陶器のかけたるものを出すことあり。中田加賀守某がおりし所にや」と云十。又深谷記、上杉普代に中田八左衞門·4

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

系図・系譜

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