コンテンツにスキップ

中岩

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

紀伊の豪族にして、熊野別當族と云ふ。中岩氏系圓に「姿救-別當快眞-別當長快-長範-智範(別當法印)-範秀(實方〓七代の孫、中岩の祖たり)-範光-範忠-範行-範〓-範經-範久(後土御門院の御宇、御旨を重んじ死を爭ひ挑戰、武勇揭焉也。相傳の地を得替せず、富田庄に主たり。應仁亂に及び、隨兵を相率ゐ、便路に聴せ向ひ、勇敢を勵みて河內に討死す。一女ありて一族久則の孫に嫁する也) -久則(幼齡の時、父に後れ、孤と爲る。一文亀年中、中岩一族幼息と雖も宗嫡を以つて撫敬を存し、庄惣の氏神王權現を修造せしむ。少字を千代と云ふ、棟梁の札に見ゆ)-久盛(富田高瀨) -久嗣-久正-久綱-久業(久則より六代に及ぶ、其の間、逆臣重疊して華夷·靜かならず、縱ひ百發百中の勢を振ふと雖も、賞祿を受けず。處々の僻地に流冗す。家屬多く、食祿乏しく、生命巳に彈んと欲し、衰廢已に窮る。家系纔に存し、南帝の御綸旨、足利の勘書等、茲に裏亡す) -久實(五郞左衞門尉。稟性大力にして强弓を挽く。而して代々の氏神に王子飛鳥の兩社神厨あり、王子權現は富田惣氏神たり、飛鳥神は中岩の先祖たり。其の說·訂正し難しと難も、今に至るまで毎歲九月十九日、中岩一族·居民を率ゐて祭例の恒式あり。中岩系譜は上世よリ久實に至る、桑島社に奉納す矣)-久尹(佐渡守。大力にして尋常勇敢を勵み、家属の長·廣畠二郎兵衞も他に勝れて勇力あり、日高、湯淺の戰場に於いて多く首級を獲、其の功賞として食碌を受け、今に遺領あり) -久輔(五郞左衞門尉伏見にて太閤秀吉公に謁す、懇篤太切也二女有り、長女は依久に嫁す家傳に曰ふ『杉若越後守は太閤秀吉公の命を蒙り、襲ひて山本主膳大夫を攻む、中岩は主膳の連系たるにより、久尹を以つて部將と爲し、嫡男久輔·甲兵八十餘人、輕卒百五十餘の隨兵を相率ゐ、市瀨に屯し、先陣を堅む。久尹·廣島福左衞門尉の家に萬して戰場に莅み、一番首を獲、武勇揭爲也。幅左衞門の孫·今に市瀨に在り』)-依久(左衞門大夫、法名悲圓。少莊より富田庄三千五百石の公文所役也。〓の長となりて號令を降す)-久保(五郞左衞門尉、法名由宜、累年·富田庄の印を佩び、善く民屋の訟を聽き、小棠の下を決して其の美を得、庄田一萬石の公文所也。後に故ありて其の職を通るO三男あり、二男出家。長を令永と曰ひ、次を令常と云ふ)-久富(五郞左衞門尉、久熊の嫡子也。三男二女あり)-久重ハ八九亞武城に在り)」to又高漏邑の舊家、吉田村六郞右衞門と同家也と。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

系図・系譜

関連論文

外部リンク