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中原流(4)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

4氏人忠常等の事はタヒラ條を見よ。下りて檜垣文書、大治五年「相馬御厨云々、」の千葉常重狀あり。又保元物語、官軍勢汰の條に「上總には介八郞、下總には千葉介常胤」と0次に源平盛衰記に「千葉介經胤、子息小太郞胤正」云々と見ゆる又東鑑、治承四年九月四日條に「藤九郞盛長を以つて、千葉介常胤の許に遺はして、參上すべきの趣也云や」と。同九日條に「盛長·千葉より歸參して申し云ふ、常胤の門前に至リ、案內の處、幾程を經ずして、客亭に招き請ぜられ、常胤·象ねて以つて彼の座に在り、子息胤正、胤賴等、座の傍に在り、常胤·具さに盛長の述ぶる所を聞くと雖も、暫く言を發せず、只眠るが如し。而るに件の兩息は同音に云ふ、武衞·虎牙の跡を與し、狼吸を鎭め給ひ、綺の意初に其の召あり、服應·何ぞ猶豫に及ぶの儀あらん哉。早く十三、十四、十五、十七に千葉介常胤、一、二、五、六、八、九、+、十一、十三、十四、十五に千葉六郞太夫胤頼、一、五、六、九、十二、十五、十八に千葉平次常秀、一、五、九、十一、十三、十五に千葉次郞師常、二、五、九、十一、十三、十五に千葉四郞胤信、八に千葉次郞師胤、九に千葉三郞胤盛、十三に千葉胤秀、十七に下總介常重、二十五に千葉介胤綱、三十一、三十二、三十五、三十七、三十八に千葉八郞胤時、三十四に千葉平長彌次郞左衞門尉親監、三十六、四十七に千葉七郞太郞師時、三十六に千葉次郞泰胤、三十八、三十九に千葉次郞、四十に千葉次郞胤秦、千葉介、四十一に千葉七郞次郞行胤、四十三、四十七、四十九、五十に千葉介賴胤、五十一に千葉新左衞門尉長胤·等見ゆ。又治承六年(壽永元年)八月に「下總香取社(千葉小太郞)、」また香取社文水造警記に「建久八年、職事千葉介常胤。實治三年、職事千葉介時胤」と0また承久記卷二に「とうごくへい竹田、小笠原、千千代小山、宇都宮、三浦云々」と。又香取社大宮司目錄に「正應六年、職事千葉分胤宗(一に胤宣)」、中山法經華寺正和三年四月廿一日讓狀に「胤貞」、元應二年十二月寄進狀に「平胤貞」、建武二年二月に貞嵐、建武三年四月に平胤貞等見ゆ。次に梅松論に「京都より供奉の人々、千葉大隅守、」また「千葉大隅守が旗さし只一騎、河をわたされじと打ち入りける」など載せ、太平記卷四に千葉介貞胤、六に千葉大介、十二に千葉大介貞胤、十四に千葉介貞胤、十五に千葉新介、また十六、十七等に千葉介貞胤、中山法華經寺文書、觀應三年に大隅守胤繼、明德五年六月廿九日に平滿胤等見え、又應永記に「千葉云々」と。こは九州の千葉氏なり、後に云ふべし。猶ほタヒラ條に多し。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

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