上道(3)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
3上道臣吉備氏の族にして、稚武彥命の吉備武彥命の子御友別命の中子仲彥命の後裔、卽ち上道國造家なり。仲彦の子多佐は、雄略紀七年八月條に1공備上道臣田狹」と見ゆ。任那國司に任ぜられしが、妻稚媛の事より恨を抱きて新羅と通じて反し、猶ほ離略帝の崩御せらるゝや、稚媛が幼子星川皇子を奉じて叛をはかれる際、〓寧紀卽位前紀に「吉備上道臣等、朝に亂の作れるを聞き、其のカブサ條に云へり。カミツケ-カミツニカミツフ- カミツミカミツミカミツミーカミテ一四、腹に生れし星川皇子を教はんと思ひ、船師四十艘を率ゐ、來りて海に浮ぶ。既にして燔殺せられしを聞き、海よりして歸る。天皇·卽ち使を遣はして、上道臣等を噴讓し、而して其の領する所の山部を奪ふ」と。これより此の氏衰へ、天武朝の賜姓にももれ、後漸く天平賓字元年に至りて、朝臣姓を賜へり。されど猶ほ續紀に上道臣廣羽女、同千若女等見ゆ。天平十一年の大稅負死備中の上道臣亡人帳に「都字郡撫川〓鳥羽里戶主上道臣意穂」など見ゆ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)