上形
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
陸前の豪族にして、河内四頭の一と云ふ。餘目舊記に「大崎を守候外樣は、留守、八酒、國分、山内、長江、登米、一時、うはかた、二四、長崎、和賀云々」また「富澤の先祖右馬助とて、所帶の一所も持たず、こうとうばかりして候よし、又うはかた先祖かいめう(戒名)しゆさんとて、是も在家の一字も持たず、但かの仁は内力候よし、有時画中に徒然のあまりに、典厩しゆさんの方へ立越て云一四、十、か程の國あらそひの御弓矢に侍と成て、身をもたざるは口惜しと、いはくしゆさん如何』とたづね候に、『馬具足をはしもち候はゞやすかるべし』といふ。『しゆさん、さらば某·しちに取り候具足、同馬一疋借進べし』とて、二人奉公にいづ。但し一所に罷出で候ては、自然軍曲無くしてはかなふまじ、吉良、畠山御兩所へ罷出づべし、一方かち給候はゞ、こゝろへをもつて何も身をもつべしと思案をめぐらし、しゆさんは畠山方へ出で、なかたの城に籠る。典厩はこまさきへ出で、吉良殿に奉公す。しゆさん密かにいで、典脈にいはく、『明日調議をさせ給へ、今夜つかねのぬきとをしを、地とこ五寸おきて、鋸を持つて十本ばかりひきとるべし。御身かまを持つめ給へ、我らやりをもちて役所をこらへ、ぐらくのうへばかりつくべし、其の時かまにてぬきとをしを引給へ、やすくやぶれべし』とをしへければ、てんきう吉良殿に參て、『明日役城貴られべし、それがしさきがけを仕、やすく御本意をとげべし』と申。さらばとて御調義有て、そのごとく破給ふ間、三間は海也、落所なくして舟にてかいどうへおち給ひて其儘二本松殿に成給ふ。其の時の忠節によリ(うは)方には二迫三園郷を下され、宮澤には三迫とみさはの地を給る。其の後いせい彌增しにて、富澤、三迫、高倉庄七十三郷、四岩井のこほり卅三郷のうしたり。うは方は二迫、栗原、小野、松庄廿四〓、今に知行す。吉良殿は大崎御いせいたる同、弓矢をすて、是も安達郡へのぼり、しほの松丗三〓計持給ふ」と載せたり。一說「文治以來の舊家にて、泉田、澁谷、狩野と共に、河内五郡二保を分領し、川內四頭と云ふ」とすれど、餘目記錄には、澁谷、大掾、泉田、四方田を文治以來の四頭とす、(河内條を參照)。明應の薄衣狀に「上形、富澤二人一己の私を以つて、二迫彥次郞を切腹せしむ、實に過分の僻事也」と見ゆ。