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三間名

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

前條任那國名を負ひしな其の人と爲リを察し、王に非じと知りし〓即ち更に還り、道路を知らず、島浦に留連し、北の方北海を廻り、出雲國を經て、此の國に至る也と。是の時、天皇の崩に會ひ、便ち留りて、活目入彦五十狹茅天皇(證垂仁) K五、奉る。詔して宣ふ、汝速に來らば、先皇に仕へまつるを得たらん。是を以つて汝が本國名を改め、追ひて御間城皇號を買ひて、彌麻奈と申せと。因りて絹を給ひ即ち本國に還す。是れ國號を改むるの緣也」と載せたり。此の事は崇神紀六十五年秋七月條に「任郡國·蘇那曷叱知を遣して朝貢せしむる也。任那は筑業國を去る二千餘里、北·海を阻てゝ、難林の四南に在り」と載せ、また埀仁紀二年條に「是の歲、任那人蘇那曷叱智·請ひて、圖に歸らんと欲ふと。蓋し先皇の世に來朝して未だ還らざる敷故に敦く蘇那叱曷智を貫め、仍りて赤絹一百疋を賣して任那王に賜ふ。錢)に新羅人·之を道に遮りて奪ふ焉。其れ二國の怨み始めて是の時に起る也。一に云ふ、御間城天皇の世、額に角ある人:一船に乗りて越國笥飯浦に泊る。故姓名錄1三間名公三間名は任那にて、こは加羅國王の裔也。姓氏錄、未定雜姓、右京の部に「三圓名公。福麻奈國主牟留知王の後てへり、見えず。初め、御間城入彥五十瓊殖天皇(證崇神)の御世、額に角ある人、船に乗りて盛國笥飯浦に泊る。人を遣はして何の國人かと問ふ。對へて日ふ、意富加羅國の王子、名は都努我阿羅斯等、亦阿利此(叱か)智干岐と曰ふ。日本國に聖皇ありと傳へ聞きて歸化す。穴門に伊都々比古と名づくる人あり、臣に謂ひて日ふ、吾は是れ國王也。吾を除きて復た二王無し、他處に往きそと。臣又陸奥に此の加羅國の事にて、

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

系図・系譜

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