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三野(8)

提供: 氏族家系データベース

概要

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姓氏家系大辞典

8三野國造と本巢國造との關係第五項所載古事記開化段の文につき、古事記傳は「三野國之本巢國造。此は二氏にて、上は三野國造なるを、造の字を之に誤れるなるべし。日代宮段に『三野國造之祖·神大根王』と見え、書紀其の卷にも『美濃縮造名神骨とあればなり。(著し三野の木巢ならば、白橋原宮段末に、道奧石城國造、常道仲國造などある例を思ふに、『三野之』とありて、國字はあるまじきことなるに、三野國とあるも、本巢とは別なるが如く思はる)。國造本紀にも、『美濃前國造、春日率川朝、皇子彥坐王子、八瓜命定賜國造』とあり。此の次に『三野後國造』と云ふもあり。抑も此の如く前と云ひ、後と云へるは、越前、越後などの例の前後にや、若し然らば、美濃の内にて、本巢郡は京師の方に依れば、道口とも云ひつべけれは、三野前國とは、本集郡のあたりを云へるものとして、此も其の國造として、『三野之本巢國造』と云へる證ともすべきが如くなれども、美濃國を前後と二つに分たむには、其の前の方にも本巢をおきて、なほ數郡の地あれば、本巢國造の外に、三野前國造あらむも妨げなければ、其を三野國造と云はむも又妨げなし。又本業郡の内に美濃縮もあれば、上古に三野國造と云ひしは、其のあたりの國造、本業國造と云ひしは、又本集と云ふ地もありけむ、其處の國造なりとせむも、何事かあらむ、又かの前後とあるは、時代の前後を分ちて云へるかとも思へども、若し然らば、一つに擧ぐべきに、別に擧げたるは然には非じ。八瓜命は神大根王の亦名にて、上に出でたり。天武紀に美濃連と云ふあれども異姓なるべし。本巢は和名抄に美濃國本巢(毛止巢)郡これなり」と載せて、「三野國之」の之を造の誤とし、三野國造と本業國造と二也と論ぜられたり。されど此の之を造に作れる一の異本もなければ、妨りに古典の文字を改むべきにあらず。殊に其の理由とする所は極めて薄弱にして、此の國造の祖·神大根王を、記紀共に、三野國造(美濃國造)とも載せたれば、三野國造とあるは本葉國造と別なりと云ふなれど、和名抄、本巢郡に美濃郷を收め、美濃なる國造は此の地に治所のありしより起りしや察するに難からざたた、三野國造と本葉國造とが同一なるは明白ならん。即ち此の國造は本巢郡の美濃〓に在りて、本巢地方を治めしより、或は美濃國造とも、或は本業國造とも呼ばれし也。次に本居翁は語句の上より、道奧石城

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

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