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三笠

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

前條參照。ミオホーミカサ1三笠朝臣橘氏の族にして、賣龜九年九月紀に「詔して橋宿禰綿裳に姓を三笠朝臣と賜ふ」と載せたり。これにつき久保定次郞氏云ふ『栗田博士の氏族考を讀み、新撰姓氏錄考證を見て、三笠朝臣は廣岡朝臣、有良朝臣などと共に、橘朝臣姓より分れたるものなることを知るを得た。橘朝臣姓は敏達天皇より出でたる顯著なる姓にて、その祖諸兄は、天平實字元年正月乙卯に薨ずと見ゆ。其の年の七月二日に、諸兄の子橘朝臣奈良麻呂は、廢太子(道祖王)、黃文王等と共に謀反して誅せられたが、續日本紀には誅死の明文が缺けてある。この事變によりて橘朝臣姓の人々の中には、同年圍八月癸亥「夫人正二位橋朝臣古那可智、無位橋朝臣宮子、橘朝臣麻都賀、又正六位上橘朝臣綿裳、橘朝臣眞姪、改本姓賜廣岡朝臣」(續日本紀)とあるごとく、廣岡姓を改め賜はつた。このうちの古那可智といふ人は、同三年七月己巳「夫人正二位廣岡朝臣古郡可智薨。正四位上橘宿禰佐爲之女也。天平勝寶九歲〓八月十八日、有勅、賜姓廣岡朝臣」(續日本紀)と薨去の時まで廣岡朝臣姓をとなへられて居られるが、古郡

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

系図・系譜

関連論文

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