三田村(9)
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
9雜載海東諸國記、筑前に「議軍道安·曾つて琉球國史と爲りて、我に來聘し、是れより往來す。乙亥年、來りて圖書を受"。丁丑年來、職を大友殿管下に受く。司正林沙也文は道安の子、度寅年、其の父に從ひて來る。職を大友殿菅下に受く」と。 ミチミチ-して、寳龜二年十一月紀に「陸奥國桃生郡人外從七位下牡鹿連豬手に、姓を道島宿禰と賜ふ」と見ゆれど、これより先き、神護景雲元年二月紀に「正四位上道島宿福島足を、陸奥國大國造と爲し、從五位上道島宿禰三山を、國造と爲す」とあるを以て、よりはやく存せしを知るべし。されど天平寶字八年五月紀に「牡鹿連島足に姓を牡鹿宿禰と賜ふ」とあれば、其の後の事なるや明白也。而して延曆二年正月紀に「正四位上道島宿禰島足卒す。島足は本姓牡鹿連、陸奥國牡鹿郡の人也。體親雄壯、志氣駸武、素より醜射を善くし、寶字中、授刀將曹に任ぜられ、八代、惠美訓儒麻呂の勅使を劫するや、島足·將監坂上苅田麻呂と、詔を奉じて疾く馳せ射て之を殺す。功を以つて擢じられて從四位下動二等を授けられ、姓を宿禰と賜ひ、授刀少將に補せられ、並に相摸守より中將に轉じ、本姓を改めて、道島宿國と賜ひ、尋いで正四位上を加へられ、内厭頭、下總、播磨等の守を歴る」と見ゆ。又延曆十五年十一月紀に「陸奥國人從五位下道島宿禰赤龍を右京に貫す」と載せたり。島足の族ならん。五八〇二路ミチ1路直儀漢坂上氏の族にして、山木直天武前紀に「路直畫人」なる者の後也。見ゆ。大和の古族也。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)
寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[77]:11頁
- 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[79]:33頁
- 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[99]:35頁
- 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[180]:154頁
- 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[229]:36頁
- 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[257]:83頁
- 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[332]:161頁
系図綜覧(記事名の出現頁・OCR照合)
本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[237]:41頁