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三溝(1)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

信濃、美濃等に存す。五九〇二に其の處を號けて角鹿と曰ふ也。之に問ひて曰ふ、何れの國人ぞやと。對へて日ふ.意富加羅國王の子、名は都怒我阿羅斯等、亦の名を干斯岐阿利叱智干岐と曰ふ。傳へて日本國に聖皇ありと聞き、以つて歸化す。穴門に到る時、其の國に人あり、名は伊都都比古、臣に謂ひて日ふ、吾は則ち是れ國王也。吾を除いて復二王なし。故に他處に往く勿れと。然れども臣·熱ら其の人となりを見るに、必ず王に非らじと知りし也。即ち更に還り、道路を知らず、島浦に留連し、北海より廻り、出雲國を經て、此の間に至る也と。是の時、天皇の崩に過ひ、便ち留りて、活目天皇に仕へ、三年に選ぶ。天皇·都怒我阿羅斯等に問ひて宜はく、汝·國に歸らんと欲ふかと。對へて踏す、甚だ望む也と。天皇·阿羅斯等に詔ふらく、汝道に迷はず、速く竈らば、先皇に過ひて仕へまつらん歐。是を以て汝の本國名を改め、追ひて御間城天皇の御名を負ひ、便ち汝の國名と爲せと。仍りて赤織絹を以つて、阿羅斯等に賜ひて本土に返す。故に其の國を號けて個摩那國と謂ふ、其れ是の緣也。是に阿羅斯等·給ふ所の赤翻を以つて己が國郡府に蔵す。新羅人·之を聞き、兵を起して至り、皆其の赤絹を奪ふ。是れ二國·相怨むの始め也、云々と見ゆ。猶ほ吉田(キチダ)條を見よ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

系図・系譜

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