三國(三國氏族)
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
3繼體帝裔の三國君前項氏を繼げるなるべし。楓體帝の御子椀子皇子の後也。繼體帝は前項三國君と同族にして、意富々杼王の御後也。よりて登極の後、皇子をして此の氏を權がしめ給ひしならん。艦體紀に「椀子皇子は、是れ三國公の先也」と。又帝皇本紀等にも見ゆ。但し以上兩項は次の如く考へらる。舊摘考に『獵體天皇は此の國で成長あらせられ、その緣故より此の天皇の御子孫が此の國に榮えた。三國氏族がそれで、此一氏族の宗家は三國君にて、天武朝十三年に、眞人姓を賜ひ、三國眞人と云ふ。もと天皇の生長せられた三國なる地名を、氏に負うたものである事は疑ふ餘地がない。しかし其の出自については異說がある。卽ち古事記廳神段に「意富々杼王は三國公云々等の祖」とある事だが、書紀に「椀子皇子(繼體皇子)は是れ三國公の先也」とあるを初めとし、姓氏錄、左京、右京、及び山城の三國眞人各條は、總べて此の天皇の皇子椀子王の後と云ふ事になつて居るのに、獨リ古事記應神段のみ何故違ふのであらう。觀體帝御母は三國の人で、天皇は三國に成長せられた、そして三國君氏が後世三國の地に榮えた等の事實から、此の氏が三國なる此の地名を負うたに違ひがないと思へるし、且つ意富々杼王の御子孫と三國との関係は意富々杼王の子で、且つ繼體帝の御父に當らせらるゝ彥主人王が振媛と結婚なさつた、それが始めであるから、如何にしても古事記の傳に從へぬ。思ふに古事記は、其の祖を繼體帝以前に洲つて書いたのであらう。天皇は意富々杼王の御孫である、從つて其の裔なる三國君も意富々好王の後裔と云ふ事になるのである。即ち「廳神帝-稚淳毛二俣王-大郞子赤名意富々等王)-汗斯王(彥主人王)-繼體天皇-椀子王」也椀子王の三國君となられたのは、御祖母振變一族の擁立によるのであらうが、猶ほ私は此の椀子王の御母三尾君堅械の女僂媛(古事記には三尾君加多夫が妹倭比賣とある)は近江高島なる三尾君本家の方ではなく、振姫と同樣、此の三國に移住して居た三尾君の方、つまり振姫と近い身内になる方であらうと思ふ。(此の外.猶ほ麗體皇妃に三尾角折君妹種子媛があるが、此の三尾も此の國の三尾か)。果してさうだとすると、椀子王は御祖母振姫、御母倭姫の領土を權承せられたのである。さうして三尾君の人々は、〓〓椀子王、並びに其の子孫を奉戴し、遂には其の氏を旨したりなどしたらしい。れが爲に此の地に三尾君の後裔と思はれる氏が物に見えないのである。其の實あつたのであらうが、三國君の名のもとにかくれてしまつたのであらう』とその他、羽咋、三尾等の條參照。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)