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三吉(備後土官流)

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

2藤原姓備後の三吉より起りしにて、三次とも、又三好ともあり。藤原行成の四男兼範の後也と傳ふ。十三代宗高の子致高に至り、大内氏に屬す。藝藩通志、備後土官流富條に「三吉兼範。里傳に、兼範は權大納言正二位行成卿の四男なりといふ。(大日本史を案ずるに、行成卿の子に兼範といへるは見えず)。是れ三吉家の元祖にして、備後國五萬三千貫を領し、子孫十五世、愛宗、兼家、信兼、秀高、光高、高家、家秀、秀明、照秀、無秀、豐秀、豐高、致高、隆亮、廣高、相續いで、畠數村比叡尾山に城居す。元弘年中には、宮方に屬し、其の後、足利直冬に從ふ。又山名氏、大内氏に屬す。十四世隆亮は所領八萬石に及ぶといふ。十五世廣高は毛利に屬し、城を上里村に移す。比熊山城これなり。慶長五年、關ケ原敗後、廣高·剃髪して、三吉菊齋と稱す京師にあり、吾が藩白得公の眷願をイヒヲ、三善宮内少輔あり、新得、公人封疆郡の日、菊齊も望ひ、三次の舊土を続けるに、民庶·舊君を慕ひ、勞迎せりといふ。後に廣島に富し、寛永十一年、壽を以つて終りければ、此の地故の香花院、西江寺に葬る。菊蜜の子は、また毛利家に仕へけるとなり」とa一に云ふ三吉兼範は永觀の事かと云ふ。永觀は行成四男にて、童名土君、筑前守、甲斐守等に任ぜられ、永保三年正月任國にて卒す。子に永〓、永算、行賢あり。藤原條參照。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

系図・系譜

関連論文

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