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三五八國

提供: 氏族家系データベース

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

氣·世を被ふ。坂東の武士·屬するを樂しむ者多し。(頼信の子頼義は)素と小一條院判官代た!!院·敗獵を好み給ふ。野中に赴く所の麋鹿狐兎、常に賴義の爲に獲る所となる。好んで弱弓を持ち、而して發する所の矢·羽に飮せざるなし。縱ひ猛獸と雖も、弦に應じて必ず斃る。其の射藝·巧にして人を軼する斯の如し。上野守平直方朝臣·其の騎射に感じ、竊かに相語らひて曰く、僕·不肖と雖も、苟も名將の後嵐たり。偏へに武藝を貴ぶ。而して未だ曾つて控絃の巧·痢が能の如き者を見ず、請ふ一女を以つて箕等の妾と爲さんと。則ち彼の女を納れて妻となし、三男二女を生ましむ。長子は義家、仲子は義綱等也、」と。平直方は貞盛の曾孫、而して北條時政の祖也。而して斯く八幡太郞の外祖父なるにより、早くより源家との綠故淺からざるを知るべし。14奥羽の平氏早くより此の族·奧羽に在り、陸奧話記に「出羽秋田城介平朝臣重成」と o分脈には繁成に作る。又前太平記に「平朝臣繁盛の孫、餘五將軍の三坂東の武士·屬するを樂畧と見ゆ。又話記に「頼時の聟散位藤原朝臣經清、平永衡等、皆舅に叛す」と載せ、又「永衡は前司登任朝臣の郞從たり、當國に下向して、厚く養願せられ、勢ひ一郡を領し、而して賴時の女を妙す。永衡·字は伊具十郞」と。イグ條參照。同書また平經貞、平眞平、散位平孝忠等を擧ぐ。また散位平國妙は出羽國人也。驍勇善戰、常に寡を以つて衆を敗る。未だ曾つて敗れず。北俗·號して平不負と曰ふ(字を平大夫と曰ふ、故に能を加へて不負と云ふ)。將軍·これを招き、前帥たらしむ。而して馬仆れて賊の擒ふる所と爲る。賊帥經〓は國妙の外甥也。故を以つて免がるを得たり。武士·猶ほ以つて恥と爲す矣」とo 15坂東平氏長元以來、坂東に於ける平家の勢感は甚だ衰へしと雖も、猶ほ當地方武士の根底たり。坂東八平氏·これ也。その内、伊豆の北條氏は、國香の子貞盛の時、常陸の大掾氏は其の弟繁盛の裔にして、此の氏の嫡流と云ふに近し。その他、上總、千葉、秩父、野與、村山、三浦、鐵倉、土肥等の大族あり。皆國香また「江戶、葛四、三田、鎌倉、坂東の八平氏」と見ゆ。普通、上總、千葉、秩父、三角、土肥、大庭、梶原、長尾の八氏を云ふ。故久米博士は「葛原親王は常陸太守となり給ひたれば、此の流の平氏は、其の由〓にて、常陸大掾に任じ、常陸大撤といふ家をなせしも、世に多くある平氏系圖は、上總、千葉、三明、秩父等、諸族の分れにて、村岡五郞良文を祖とし、常陸大掾國香の末弟といふ。されど將門記に、國香の兄弟を詳記したるも、良文なる人なし。而して二三代を經て、良文が子孫の、武相、兩總の地に蔓衍したるは、奇怪ならずや、是れも、必ずや鍜目なるべし」と。但し今昔物語に「今は昔、東國に源宛、平良文と云ふ、二人の兵·有けり。宛が字をば箕田の源二と云ひ、良文が字をば、村岳の五郞とぞ云ひける」と載せたり。16越後の平氏余五將軍維茂の裔也。城、奧山、白河等の條を見よ。17伊勢平氏貞盛の子維衡は伊勢守となりて、子孫·當國に榮ゆ。伊勢平氏·これ也。伊勢、振津、阿濃津、桑名、富津、柘植、大和、三重、杉原、本郷、木梨、燒野等の條を見よ、また民田、肥後、越中、平田、富田、筑後、山木、庄田、鷲尾等の條を參照せよ。猶ほ伊藤氏、服部氏の族など、他姓の人にして、伊勢平氏と云ふも亦多し。また關、長崎なども、昔伊勢平氏と稱す。また神宮雜事記に「別當家司平致重、」また元久元年、富田進士家資の子進士三郞平基度等、兵を擧ぐ。所謂三日平氏の亂也0松本、團、庄田、河田、進士、四.若菜、大内等の條を見よ。18正衡流維衡の孫、正度の子正衞の後K.1伊勢平氏の一派なれど、其の子正盛に至り、追討使として源義親(義家の子、頼朝義經等の曾祖父)を誅し(天仁元年)、又海賊を討ち(永久二年)、猶ほ鎭西の犯人平直澄を討つ(元永二年)。その功·甚だ大なれば、遂に從四位下(後に上)に叙せられて世人を驚かせ、其の子忠盛·刑部卿、正四位上、昇殿を許され、清盛に至り、太政大臣に列せられ、三后に准ぜられ、兵仗〓車を許さる。天下の權を掌握する事·二十四年、時忠をして、「此男も女も尼法師もの一門にあらぬ者は、人非人なり」と云はしむるに至れり。その子孫は次の如し。「正盛(伊勢守) -忠盛(伊勢守、刑部卿-忠正-長盛右馬島〓盛重盛惟盛出来直通內大臣小松were :六代丸六尊屋內大臣三位中將-女子大阪大阪黃ハニ轟平相國資盛-盛綱(盛國)二三長崎I閣(洋海)藝右中暑(親眞)〓經i重盛內大臣小松內大臣黃ハニ轟惟盛妙覺三位羅師were :六代丸三位中將-女子資盛-盛綱(盛國)二三長崎右中暑(親眞)〓經i左中等有盛新少將師盛-勢觀復習毎日は博空电子-房房4號、-宗實背後、土佐守重眞(全眞) 1行實重遍〓雲(宗眞)大炊門右大臣に我は七七号行盛無曆守、方便局女子季節國富〓宗待從、右衞門能宗(良宗)自害大夫新五下宗親要子、国衰守三九九安福判官基盛疾病は內磁頭-宗盛-母時候女內

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

系図・系譜

関連論文

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