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(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)
===寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)===
*『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[283]:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2577575?page=12 12頁]
*『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[329]:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2577621?page=22 22頁]
*『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[331]:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2577623?page=54 54頁]
===本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)===
*『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[264]:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2593537?page=34 34頁]
===華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)===
*『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)(明治16年)上巻:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1152015?page=95 95頁]


==系図・系譜==
==系図・系譜==

2026年10月24日 (土) 08:01時点における最新版

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

伯耆圓會見郡の豪族にして、永正、大永の頃、尾高城に據りしを、大永三年、河村郡なる南條氏と共に、出雲富田城主尼子經久に道落され、但馬の山名右衞門督入道宗詮に寄食せしが、志を得ずして遠近に流浪せり。此の時、當城には尼子氏の配下の將吉田筑前守(或は筑後守)·居りて在番す。其の後、行松氏は、天文九年十月、因幡山名の將·武田山城守が尼子國久と橋津に戰ひし時、南條等と共に武田氏に與力せしが、永祿五年に至り、尼子氏が衰へて、毛利氏の勢强大になりしに乘じ、彼の家に依頼し、南條氏と共に歸國して、再び當城に入る。行松左兵衞尉正盛入道これなり。正盛は水味七年に病死し、當城には毛利氏の部下備後神邊城主杉原播磨守盛重、元就の命を以つて之を守る。その頃、尾子氏再び興リ、三保關より打づて出で、度々當郡に亂入し、同十二年に至り、當時尾高城に在りし行松入道が子息も、彼に降參す。此の人·その後、天正十年の頃、八橋の船上細木原城にり毛利氏の將加藤佐渡に破られて出でゝ降る(伯耆志)とぞ。そ1個.杉原條を見よ。安四軍策に「行松人道云々」と載せたり。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[283]:12頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[329]:22頁
  • 『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[331]:54頁

本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[264]:34頁

華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)(明治16年)上巻:95頁

系図・系譜

関連論文

外部リンク