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「子吉」の版間の差分

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(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)
===尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)===
*『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[4]:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2552975?page=54 54頁]


==系図・系譜==
==系図・系譜==

2026年10月23日 (金) 12:41時点における版

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

羽後、越後等に此の地名存す。由利十二黨の一にして、羽後由利郡子吉邑より起る。矢島十二頭記に「子吉殿、若名次郞、老名は兵部何代と申す事慥ならず。今くわしくは所の者も存せず」と。又新風土記に「子吉館は、今其の地を失ふ。館主を兵部少輔と云ひ、慶長の初めまで、子孫連綿したれども、勢小にして、一方に雄峙するに足らず。天正中、次郞·仁賀保氏を助けて矢島を討つ。文綠元年、兵部少輔·由利諸將と共に、矢島滿安を攻落す。又兵衞尉、修理など云ふ人もあり、」(地名辭書)と。天正十九年春、子吉兵部少輔、鮎川箕前守、矢島滿安を說き、仁賀保擧誠と講和す。滿安·兵を率ゐて子吉城を攻む。兵部·人をして援を芹田に乞ふ、舉誠·逞兵二千を發して赴き援け、到れば則ち城陷る(野史)」と。猶ほ仁賀保條を見よ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[4]:54頁

系図・系譜

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